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寝る前のメモ。


金曜日の夜に更新をすると、オンタイムの出来事しか思い出せない気がするので(かつ、日常すぎて書けない内容が多くなると思うので)更新日を変えようと思い始めている最近です。

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「100年後も手触りのある未来を」という言葉は、何度か口にしてきたし、noteにも書いていたかもしれないけれど、やっぱり行きつくところはそこになるのではないかと思っていて。ビジョンというか、とても個人的な目標みたいなものなんだけど、そういうことを大切に暮らしていきたい。

そのためには、機械効率化のなかでついつい優先順位が落ちてしまう「自然」や「手間」や「想い」みたいなもの(=時間資産)を、機会効率化(価値の最大化?)として取り戻していくようなことなんじゃないかなと思っていて。どうせ生きるならそういうことのほうを価値と思えた方が人間っぽくて楽しいし、自分自身の存在をちゃんと認めていくことにもなると思っているんです。

人をちゃんと大切にしていくために、まずは自分のことを大切にする必要があって、「そのところの教育が日本では抜け落ちている」というお話を、先日とある会社の3代目社長が話されていて、まさにそうだよなと強く思った。

文化にせよ、まちづくりにせよ、コミュニティにせよ、足元にある超地べたのものを大切にすることで、それ以外の地域も同じように大切にしたくなるし、だからこそつながって・領域を超えて連携をしていくことそのものが価値になっていく。

それらはあたまで理解できたからといって、勝手に動いていくものではないから、ただただ実践・実装をしていくしかないんだと思うよね。日々、何を積み重ねていくかというか。何を諦めずにやっていくかというか。でも、答えはなんとなく見えていて、「コミュニケーション」に尽きるのだと思う。

時には大変で厄介で、決していいことばかりではないのだけれど、諦めずにそこをやっていく。そこにこだわりをもっている理由は簡単で、やっぱり伝わった瞬間の喜びだけはほかの何にも変えられないからです。


自分のなかで一貫しているつもりはあるものの、まだまだアウトプットは定まりきらないし、どこに着地するかも明確には決めていないしで、小さな実験のようなことをこれからもポコポコとやっていくしかないんだけど、最終的には「ツーリズム」と「ストップモーションアニメ」で、そのために今は流域治水や人をつなぐことをやっているんだと思います。

とりあえず、4月はやっぱりミラノデザインウィークを見に行きたい。

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