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寝る前のメモ。


初めて出会った日のことはさすがに覚えてないけれど、25年以上も友だちなんやと思うと(幼稚園も含むと28年・・・)、とてつもなく月日が経ってしまったような気がしてくる。私だけかもしれないけれど、5〜8年、ほぼ毎日一緒にバスケットボールをしていたみんなとの再会はあまり懐かしさがないから不思議で。

大変だったほうの記憶は都合よく薄れていくけれど、あの時間が自分の土台をつくってくれたと改めて思う。歩いて帰ると30分かかるところを、走りながら短縮して、宿題を急いで終えて友だちの家へ遊びに行き、2時間ほど練習をして、学校へ行こう!を見るためにダッシュで帰る。4年生の頃からは、火曜日から金曜日まで授業後に練習をして土日は他府県へ遠征に行くという、今以上にタフな毎日だった。

土曜日が午前中の練習だけで終わったら遊べるからラッキーと思う反面、お盆やお正月で3日も休んでいたら気持ちが落ち着かないような、そういう小学生になってしまった。というか、それだけのめり込んでいた。筋肉質なのは脳みそまで同様のようで、一度刻まれたものはそう簡単に抜けなくなっていて、気がつけば25年。

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先週はロフトワークさんのこちらのイベントへ。

当時は、今以上に日常的な同級生とのコミュニケーションがあまり得意ではなくて、バスケットボールという後ろ盾?場?があるから、なんとか自分の居場所が見つかっていたようなところがあった。

「あんたはスッキリしなあかん!」とおじいちゃんによく言われていたくらい、自分の意見をはっきり言えずに悔しい思いを何度もしたのだけれど、そういう自分とは違う、素顔の自分でいられるのがコートの上だった。バスケットボールという共通の関心があり、全国大会という共通のゴールがあり、それが共有でき、実現できていたから、そこだけが唯一のこころの居場所だったんだと思う。

根っからコミュニケーションが苦手だったけれど、苦手なんて言っていられないほどスピーディーなコミュニケーションが求められるスポーツをしてちょっと克服されたようなところがあった。

話をもとに戻すと、やっぱり関心のベースがずっと「コミュニケーション」にあるのは、こういう背景があってのことで、だんだん苦手を克服していくうちにおもしろさを感じられるようになったんだと思う。克服することで成果にもつながっていったしね。

苦手だったことが仕事になるとは微塵にも思っていなかったけれど、文化や経験を言語として翻訳していく機会、イベントや講義でお伝えする機会も増えた。前述のトークイベントでは、触感、振動、事後の対話など、いろんなコミュニケーションのヒントをいただいたので、ゆっくりでも少しずつプログラムにしていけたら。

上手く話せなかった、もっと話せるようになりたい、と思った瞬間からいつもスタートです。

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