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寝る前のメモ。


不平を言う、不満を言うことのエネルギーをどうすればポジティブに変えていけるのか、という問いに対して「仲間になってもらう」というソリューションがあると思っている。感情任せのどうしようもない言動を除いては、不平・不満をひっくり返してみると、力強い味方になってもらえるようなケースが案外多いのではないかと思っていて。

そこに改善の余地があるからこそ、目の前の不平・不満につながると思うと、どうすれば仲間になってもらえるのか、その辺りをそろそろ考えらてもいいよね。悪くないのに謝り続けるのは、鉄の心でない限り普通に折れる。だからこそ、そこにはきっとデザインの力が必要だし、その辺りのプロセスをデザインできる人たちと一緒にプロジェクトをつくりたい。

重複になるけれど、これらについて自治体のケースにおけるソリューションのひとつは「e-ガバナンス」だと思っていて、不平・不満に対して予算がついて裁量が与えられれば、改善方法についてもっとポジティブな話ができるんじゃないか・・・ということで、やっぱりエストニアに行きたい。

今年は、法人税をはじめて収めるわけだけれど、小さくても地域に対して会社ができることの意義を体感としても理解することになる。それと同時に、私自身が賢くならなければずっと税金を払い続けるだけなので、自分たちが払ったお金の使い道も積極的に考えたいと思う。必ずしもそこに住民としての選択権があるわけではないのだけれど、長い目で関わりながら、そういった選択肢をつくっていけるといいのだろうな。

はじめて、英語にもならない英語で会話をしたのは、小学何年生だったか・・くらいの時の品川プリンスホテル。父母の友人の結婚式だった。絨毯の模様の一部が十字になっていたので、同世代の女の子と当時とても流行ってた「あんどこ」をしていると、Oh,dance?と近くにいた女性2名が声をかけてくれた。ALTの授業が始まる前か後か忘れたけれど、Cute!という言葉もちゃんと聞き取れたし、彼女のカバンについていたキティーちゃんを見せてくれたのが嬉しくて。(俄然、ご当地カトちゃんを集めていた派でしたが)

別にたいした会話をしたわけでもないのだけれど、言葉が通じなくても何か共通のものが見つかった、あるいは、共有できる時間だったのが、ただ単に嬉しかったんだと思う。

今日、なんでこの話を思い出したんだったっけ。

エコロジーについて考えたり、地域課題について考えたりすることが割と自然なのは、生まれた時から気候変動や人口減少が叫ばれる社会だったので、そこに使命感があるというよりは、生活の延長として向き合う感覚が近い。

さ、あたまの中にあるものを企画書に起こして、いろいろと新しいチャレンジしていかないとね。右脳も左脳もフル回転させながらだけど、私が思いつくようなアイデアは基本的に誰でも考えられると思うので、人の手を借りながら実装していこうと思います。楽しみ!

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