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寝る前のメモ。


あたまの中ではすでに6月が始まっている。先のことについて段取りを考えはじめると良く起こることではあるのだけれど、先日6/23と書いていて自分でも驚いた。そのあと、2月・・・と書きかけて流石に訂正。自分のことではあるものの、時々、何を基準に記憶というものが成立しているのだろうかと、不思議に思うことがある。

現在に残されているヒントを見つけながら、仮説だけで地域を巡る面白さはあるのだけれど、わたしはそこに対する裏付けとなるような史実情報がほしくなる。多少はガイドしてくれた方の主観があっても良いのだけれど、「〇〇だったらしい」「〇〇だったかもしれない」という情報が続くと、情報そのもへの信憑性が薄れてどれだけ丁寧に案内してくれていても気持ちが醒めてしまう。(別の演出があれば、想像するロマンに振り切るのもひとつ)

それに加えて、情報を伝える順番、インタラクティブなコミュニケーション、たまに入るユーモア、そして、案内してくれる方の熱量が(これが最も重要)、旅先での体験をより豊かなものにしてくれると思う。ガイド付きのツアーには、これまで数えるほどしか参加してこなかったけれど、それに参加することで「自分一人では辿りつけなかった情報」が好奇心を掻き立てるし、学びや土地への理解を深める時間がとても楽しい。

さらに、ガイド(役)を介して地域の人たちとコミュニケーションができると、まちそのものへの愛着を感じてしまう。ガイドとまちの人たちの関係性が良ければ良いほど、その体験は豊かになる。

途中からガイド(役)と書いたのは、コーディネートも含めてガイドを行うことは、参加者の満足度を高めることにもつながるだろう、と感じたから。仕事柄、コーディネート(あるいはアテンド)をすることが増えてきて、これは本当に日々のリサーチとコミュニケーションがものをいう世界だなと。

訪問先とどのようなコミュニケーションをしているか(世間話に加えて、仕事上の課題や展望も含めて話している)、来訪予定者とどのようなコミュニケーションをしているか(興味関心やニーズを把握している)、双方から得た情報をもとに、より良いマッチングをしていくことがガイドの役割なんじゃないかなと。

わたしにとっては、ライティングというものもそこに当てはまるし、交わらなかったかもしれないAとBのあいだをつなぐコンテンツをつくる以上は、こういう考え方を大切にしたい。


本当に、すべては丁寧にコミュニケーションができたかどうかで決まる。メールに重ねて電話で確認していてもこういうことは起こるので、仕方がないといえばそうなのだけど、あまりネガティブな状態は引きずりたくないしね。私たちの身のまわりにある大体の課題は、コミュニケーションとスタンス次第(価値観の転換)で解決できる。ただ、どうしても難しいことであれば、そこにきて初めてアートやテクノロジーが力を貸してくれる。

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