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寝る前のメモ。


秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず、となり。この分け目を知ること、肝要の花なり。

世阿弥「風姿花伝」より

秘する花があるわけではないのだけれど、どうしても目指したい領域がある。周りに伝えていくことは大切だと思う一方で、いま無理に理解を得ようとするよりも、もう少し具体化した段階で伝わればいいと思っている。急がず、焦らず、けれど、着実に。

思えば、この一年は自分にとって軌道修正のような時間で、訪れた場所、出会えた人、そこで話したことなどを丁寧に思い出すことができる。この一月は2つの新しいチャレンジをしていて、結果は時のみぞ知るにせよ、そこに書き記した内容を見返すとこれこそが自分にとっての真実だと思った。放った言葉に恥じないよう、実力をつけていくしかないし、それが心からの望みでもあるのだと思う。

流れに身を任せて7年という月日が経ち、そろそろ杭を打つ日が来たのではないかとも思う。それは決して場所に由来することではなくて、どのテーマに錨を下ろすか。思いがけず広がってきたこともあるけれど、思い通りだったとは思わない。楽しみがなかったわけではないけれど、心から望んだものばかりではなかった。なし得なかった方のことばかりを考えていても仕方がないので、素直な気持ちがそう思うのだとしたら、やっぱり今から変えていくしかないよね。

誰になんと言われても、もうしばらくは自分のことを信じて進んでみたいかな。

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アイデアを出し尽くしたとは思わないけれど、どれだけアイデアを考えたとしても、実際に社会でワークしなければ意味がない。この一年はそんなことも同時に感じていて、歯の奥に何かが詰まったままのような、すっきりしない時間だけが過ぎている。長年考えながら動いてきたことも、思いがけないカタチで発展したことを知り(結果的にはもちろん良かったのだけど)、じゃあ私は何を目指していけばいいのかちょっとわからなくなったんだよね。

大きなことを考え過ぎた反動で、最小単位でできるなにかを模索しはじめているのかもしれない。さまざまなリアルが重なって、ちょっと迷子になっているのかもしれない。

いずれにしてもこれからの3年でひとつの区切りを迎えようと思うなら、小さくできる何かに集中していくのもいいのかもしれないな。こじんまりしましょうというわけではなくて、「私はこれだ」と胸を張って言えるものをきちんとかたちづくっていくようなこと。ずっとフワフワしているのは私だったのかもしれない。

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