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寝る前のメモ。


こういう瓦の模様は、用途があるからこうなっているのだろうか。波のような模様でとてもかわいい。つくり手の遊びごころだったらもっとかわいい。

古民家再生の現場には何度かおじゃまをしたことがあるのだけれど、意志がないと本当にやりきれないことだなと思う。だから惹かれるし、わたしもいつか・・・と思ってしまう。目星をつけているお家があるので、いつか実現したら世界中から友人をお招きしたいと思っていて。そのためにはもう少し、自然と溶け合うデザインのことを学び、財をつくっておかないと。

と言いつつ、次の10年をつくるために、エストニアに1年暮らし、世界各地の地域文化とクリエイティブを巡る旅にも出たいので・・・(目的だらけだと窮屈なので、単純に旅がしたいだけ)

次から次へとやりたいことが、よくもこうして出てくるものだな〜と自分でも呆れてしまうけれど、あと70年くらい生きられるとしたら、たくさん楽しみをつくった方がいい(と少なくとも私は思う)。いつか終わりが来ることだけは平等なので、すこしでもいいバトンを次の世代に渡したいしね。

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なんでこう思ったのかは忘れてしまったけれど、みんなもっと自分に集中すればいい。

小学生の頃は周りからどう見えるか?を気にしすぎる自分に疲れて、中学生の頃には「他者との比較なんてくだらねえ!」って思いながら(あるいは言い聞かせながら。言葉が汚くてすみませんが、時折ロックが通過します)生きてきたので、一定の倫理観さえもっていればもっと自由にやっていいと思うんだよね。

というか、他者を気にしている余裕があれば(揚げ足をとろうとか、マウントしようという状況において)、その時間は全部内側に向けないともったいないというか。そうならないから人間なのかもしれないけど。

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Twitterを開けば、遠い国の山火事も知らない誰かの結婚も日本各地の水害もアイドルの自撮りもすべて同じタイムラインに表示される。

時間軸も情報の優先順位も分からなくなるけれど、すべてが「いま」という瞬間に投稿されたもので。(最近はアルゴリズムで時間軸はぐちゃぐちゃかもやけど)

その人のアカウントをフォローしていて得たい情報と、いいねやリツイートで意図せず入ってきてしまう情報と。極力リツイートやいいねは表示されないように設定しながら、偶然入ってくるような情報との出会い?余白?をもたせながら。

どうでもいい情報でも、意図しないタイミングで入ってくるとダメージを受ける。タイムラインが発明されたおかげで、情報との距離が0になっているのもちょっと考えものやな。

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