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寝る前のメモ。


しばらく続けていた金曜日の更新を、すっかり2回もスキップしてしまった。「忙しい」という言葉があまり好きではないけれど、“はじめて”がたくさん重なったこの期間はそれなりに忙しなかったのだと思う。

イベントのことはまた落ち着いてから振り返るとして、今日は少しだけ祖父のことを。

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仕事の区切りを待ってくれたかのように、日曜日の朝に息を引き取ったと連絡があった。お通夜とお葬式の日程を聞いて、ほんの一瞬だけ仕事を優先しようとしてしまったことを、今は後悔している。

96歳の大往生。この一年のうちに施設から送られてきた動画の様子を見ていたから、もう二度と名前は呼んでもらえないと分かってはいたけれど、その場に行くと想像以上にお別れは悲しいものだったし、お見送りは自分のためにも必要な時間だったことがわかる。

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昔からじいちゃん・ばあちゃんっ子で、親戚で飲食店に入ると必ず、祖父母のあいだに自分の席を確保していた。従兄弟が全員男の子だったこともあって、そのポジションを守る必要もないまま大きくなった。

遠方だったことに加えて、小学2年生の頃からバスケットボールをしていたので、年に2回ほどしか会えなかったけれど、毎回、じいちゃん・ばあちゃんの元へ向かうことを楽しみにしていて。

大学1年生の頃に祖母が亡くなり、そこから11年。足を悪くしてからは施設での生活だったけれど、日々のことをマメに記録したり、歩行の練習をしたり、昔のビデオを見たり、箱根駅伝を見たり、じいちゃんはどこにいてもじいちゃんだった。そして、どんな時でも別れ際になると必ず握手を求めた。

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すっかり小さくなってしまったおじいちゃんを膝のうえに乗せて、じいちゃんが大好きな富士山を一緒に眺めながら葬儀場へ向かう。私が幼かった頃は、こうして膝のうえに乗せてもらっていたんだと思うと、自分のなかでなんとなく一周まわったような心地がした。不思議な感覚とともに、もうここにはいないという実感が湧いてきて、自然と涙が溢れた。

「人はいつ死ぬと思う?」とDr.ヒルルクは言うけれど、やっぱり肉体がなくなったときに一度「死」というものを実感する。見えているものと、見えなくなったものが、自分のなかで瞬時につながることはないし、この瞬間に慣れることはないのだと思う。

「おつかれさま」と「ありがとう」の気持ちでいっぱいなんだけど、やっぱりふとした時に寂しくなる。母が生まれ育った場所を大切に思う気持ちもあるので、山梨県とつながるような仕事もしていけるといいな。

情けないことに、今は「仕事」だけが私と土地をつなぐ手段なのだけど、もうしばらくはこのままで。

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