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寝る前のメモ。


その人を想う、という気持ちについて改めて考える。

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今日、近所に住んでいる親戚から電話があった。わたしの父宛ての電話だったけれど、不在だったので代わりに伝言を預かることにした。

「家の横のすももの花が満開でな」

と、急に話が始まり、わたしにはなんのことかさっぱりわからなかった。かろうじて電話の主が親戚(わたしはほとんど知らない)であることだけはわかった。

「毎年、すももが満開になると思い出すんや。昭雄さんのことを。年に1回のことなんやけどな。」

ここで出てくる「昭雄さん」は、16年前に他界したわたしの祖父のことで、亡くなったのはバスケットボールの練習か試合の前後の日程だったと思う。

「心のきれいな良い人でな・・」

涙ぐんでもいるように聞こえる彼の声から、本当に祖父のことを想って話してくれているのがわかった。

「本当に良い人だった」と続く彼の話を、ただただ相槌を打ちながら聞いていた。こういう電話を受け取ったのははじめてだったので、少々困惑気味だったかもしれない。けれど、彼の気持ちは十分伝わった。


電話ひとつですら目的を求めてしまう一方で、こうして「思い出した」ということを伝えるために連絡をもらえることが、素直に嬉しいことを発見した。外に出るときは毎日、祖父のお墓の前を通るわけだけれども、明日はこのことを報告しないといけないかな。

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季節は何度も巡り、東日本大震災から9年が経った。わたしが現地を訪れたのは、それから3年後のことだったけれど、今ならきっと、あの頃できなかったことを、できるのではないかと思う。

正直、わたしは東北に全く所縁がない。一個人ができることなんて限られているわけだし、所縁がないなかでどういった角度から関わっていいかわからない、という風に感じてしまうのだけど、普通の旅人として、あの地を訪れることができないかと思う。

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