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寝る前のメモ。


鳥の囀りとともに朝日が降りそそぐ。穏やかな日々に感謝をするとともに、心は決して穏やかではない。タイムラインを流れる心苦しいニュースに、何もできないもどかしさが募る。

こんな片田舎から何を思おうと、私は無力だし、世界を変えることなんてとうていできない。けれど、諦めることだけはしたくないし、後悔もごめんだ。

戦争を仕掛けたのは国家であり国民ではない。ロシアにもウクライナにも美しい風景や文化があり、心穏やかな人たちがいることだけは忘れてはいけない。ロシア国民も抗議をしているこの戦争に、一体なんの意味があるのだろうか。

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小学4年生のとき、テレビ越しに見た「9.11」の映像があまりにもショックで、なぜ争いが起こるのかを知りたいと思った。考え方が違うから争いが起こるのか、利己的な欲望が争いを生んでいくのか、平和な国で育った私には理解ができず、まずは私たちの「違い」を知りたいと思った。

その違いがどうなると、争いにつながっていくのか。

身近にある小さな諍いから、国家間の争いまで。何が根源にあるのかを知りたいと思った。自分自身ですら、ふとした瞬間に憎しみや苛立ちの感情が湧いてくるのだから、感情そのものが生まれてしまうことは自然なのかもしれない。けれど、いかなる理由があっても、無抵抗の他者を攻撃することは許されない。

言葉は刺すために生まれたものではないから、普段はできるだけ強い言葉を使わないようにしているのだけれど、この後に及んで戦争が起こることにだけは、徹底して「NO」を掲げる。正当化できる戦争なんて世の中には存在しない。(差別に関してももちろん同様の認識をもっている。)

本当はもっと、思うことがたくさんあった一週間だったけれど、見事に何もかも吹き飛んでしまったな。進めなければならない仕事がたくさんある一方で、悲しさと無力さで時々ぐちゃぐちゃになる。

投稿しようと思っていたことも多々あるのだけれど、SNSのを開くとそんな気持ちには到底なれず、ウクライナ情勢のあいだに流れる楽しそうな投稿も素直に受け取れない自分がいるので、今はそっと閉じておく。

2001年に発生した「9.11」から、20年あまりの月日が経つというのに、あの頃と同じ無力さをこうしてまた感じてしまうのか。ユニセフ募金しか手段がなかった頃に比べたら・・・と思う一方で、思いつく手段はほとんど変わらない。明日はロシア人の友達にもメッセージを送ろう。

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大学生の頃に受講していた「旅から始まる知の冒険」という授業のはじまりが、【人間が争う理由はいつの時代も『境界』である】という項目だったことを思い出す。

水に関する利権・土地に関する境界を、防災や治水の視点から見直すことはできないか、いちばん身近なテーマで言えば、その辺りから小さくてもできることを進めていくしかなくて。

ようやく携わることができた「観光」は、平和の上に成り立つ産業だからこそ、見えない線をほぐしていくために自分ができることをコツコツやっていくしかないのだと思う。

そのためにツアープログラムをつくり、異文化体験をデザインする。

取材を行なったのち、残念ながらコロナで流れてしまったロシアベースドのマガジン「KIMONO」にも、また亀岡のことを掲載してもらえる日が来るといいな。その日を楽しみに、今は東の端から平和を祈ります。

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