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寝る前のメモ。


気仙沼からの帰り道に、ふと「呼応するまち」というキーワードが浮かんできた。「呼応するまち」ではどのようなコミュニケーションがなされていて、どのようなランドスケープが存在し続けているのだろう。

これまで一人ひとりが経験してきたことを土地の記憶として思い出せば、ヒントはそこここにあると思っている。そして、それをまち全体で大切にするための「選択」はまだまだできるのではないかとも。可能性と諦めを何度も行き来しながら、それでも諦めたくない思いが強くて(自分自身に)、だからこそ取り組むおもしろさがあると感じている。

理想郷をつくりたいわけではなく、①一人ひとりが大切にされる ②何歳でもチャレンジができる ③地球にやさしい選択をする という3点が実現するまちはこれからも魅力的であり続けるのではないかという仮説。そしてこれは、一人ひとりの意識と施策(行政)、事業(民間)が重なることによって実現が不可能な話ではない。

そのために、①自分たちが何を大切にしているか・先祖が何を大切にしてきたかを理解し、②お互いを応援・ケアし、③美しい未来の風景を考えるというシンプルな想像を何度も繰り返す。あたまの中で想像するだけではなく、他者と交わり、五感で感じることで、その解像度がどんどん高まっていく。

ずっと自身の興味や疑問に重ねながら、こうして仕事ができてきたことの嬉しさを感じつつも、まだまだ至らない部分が多くて気が遠くなる瞬間がある。けれど、ちょっとずつ幹を太くしていくしかないんだろうな。

何を成し遂げてきたかなんて考えたこともなかった。数値で測れるようなことは何もしていない。けれど、何かしらの見えない価値はつくれてきたと思えるのであれば、あとはもうその感覚を信じるだけでものごとは進んでいくと思う。むしろ、そこに対して愚直にやっていくことでしか成し得ない。



ストップモーション映画のスタジオができるまで(まさかの笑)、これからどのくらい時間がかかるのかはわからないけれど、毎日少しずつ駒を進めていけたらと思っています。この2年間でやり始めたことや、あたまのなかでつながっているものごとを、もう少し見える形に変えたり、さらにつくり込んでいくタイミングかな。

見えない価値をさらにつくっていける確信がもてたら、同郷である円山応挙の力をお借りしたいと思っています。一人では何もできないことは理解しているので、少しずつ周りの方々の手を借りながら。これからが本当にたのしみ。

大人が真剣にやって見せたら、子どももちゃんと応えてくれる。大人気ないと分かっていても手は抜けないスタイルです(なんの話や)。

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