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寝る前のメモ。


数年前から今の自分にできることの限界点が見えて、数ヶ月のあいだ新しいチャレンジのための準備を進めてきたのだけれど、やっぱりトントン拍子とはいかなかった。自身の見積もりの甘さは受け入れるしかないのですが、どうせやるなら壁は高い方がいい、と一晩経ってようやく整理がついてきています。

「信用されることと信頼されることは違う」と、誰だったかが言っていたけれど、信頼を寄せてもらえることと社会的信用があるかどうかは別のカテゴリーだったのだと気づく。そういう意味合いで話されたわけではなかったかもしれないけれど、とても身に染みている。

こうした現状と直面したときに、やはりどこかで”おごり”のようなものがあったのではないかと自身を振り返ってみています。どこかで”ここまでやってきたし、なんとかなる”と思っていなかったか、と。これまでなんとかなってきたことは、気づかないうちに誰かになんとかしてもらってきたことでもあるのかもしれない。

じゃあ、どうすれば。

少なくとも目指したい未来に向けて途中で辞めるようなことはしないし、したくないけれど、30代になったいまは、真っ向勝負だけで乗り越えていけるほど世の中は簡単でもない。こんな小さなつまずきは挫折でもなんでもないのだけれど、昨日はとにかく悔しくて、情けなさがたくさん募った。

募れば募るほど、どんどん悔しくなってきて、今日もふとしたときに悔しさが肋骨のあたりから滲み出てきそうになったけど、この悔しさは自分以外の誰かでは埋められないこともわかってる。

はじめたばかりの事業と、個人事業主の組み合わせでは社会的な信用が足りない。その事実を受け取って、さて、ここからどうするか。

少なくともこの一年それなりに頑張ってきたつもりだったので、こんなにも悔しいとは思わなかったけれど、目の前にはどこまでも現実しかないわけです。

「Want」を自分の中心に据えてきたけれど、そうしすぎたことで何か忘れてしまっていたのかもしれない。最近は誰かと会話をしていても「聴く」姿勢のことをすっかり忘れていたんじゃないかと思うことがある。

なんとかチャンスをつかみたいと思っていることは事実だし、必死になることはもちろん悪いことではないけれど、その過程で少し視野が狭くなっていたのではないだろうか。

とは言っても、このバランスを保つことも本当にむずかしいんだけどね。ゆらゆらと波間に揺れるように、右へ左へたゆたいながら、とにかく手足を動かします。

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