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寝る前のメモ。


フランスからかわいい鯉たちがやってきた。数日前にネットショップで頼んだ、友人の作品。

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私はふと、衝動的に贈りものをすることがある。見返りを求めるとかではなく、「そういえば、元気にしてるかな?」と思った時になんだかちょっとしたものを贈りたくなって、相手のことも考えず一方的に。届いた方に迷惑でなければいいのだけれど、贈りたいから贈ってしまう。

そういえば昔から、だれかの誕生日プレゼントを選ぶのが好きだった。どうせなら誰もあげなさそうな、でも喜んでもらえそうなものを選びたくて、小学生ながらに結構いろいろな雑貨屋さんを巡ることをしたと思う。

山梨の祖母の家の近くに「THE雑貨屋」という感じのお店があって、そこに行くのが好きだったし、小学生の頃の夢は雑貨屋さんを開くことだった。お店の名前は、当時仲が良かった友だち同士の頭文字で「あみな」。自由帳に商品の陳列棚を描いた記憶がある。


そんなこんなで、なんでもない日に贈ることができるささやかなギフトがあるといいなとずっと思っていて(こんなご時世なので、毎日なんでもなくはないのだけれど)。そういう文化を育むものをいつかつくりたいなとずっと思っていた。この前はじめた取り組みはきっと、最初の0.5歩くらいにはなったかもしれないけれど、まだまだ道半ば。届いた先で喜んでもらえていたら嬉しいけれど、全員から感想を聞けるわけではないから、しばらくはドキドキかな。それでも、届けたいものを届けられるようになったんだとは思っている。

特別な日の贈りものはもちろん嬉しいのだけれど、ふつうの日に意図していないところから何かが届くと、特別な日のそれよりも無性に嬉しくなっちゃうんだよね。クラファンのリターンもまさしくそんな感じで、相手の夢を応援したい気持ちと自分が過ごすであろう未来の時間に投資をしている感覚。(結局使わずにほったらかしにしているままのリターンがいくつかあるけど、そろそろ時効で使えなくなっちゃうかな。苦笑)



そういえば、先日わたしも地元のあれこれを詰めてタイヘ贈りました。私が地元に関わるきっかけのひとつをくれた大切な友だちカップル。先日もメッセージをしながら、現在進めている事業に通づるような新しいヒラメキをくれました。「いつも杏奈の生活からインスピレーションを受けているよ」と言ってくれたけれど、それはこちらのセリフかな。

自分にも逃げる場所というか、頼れる人というか、話したい話ができる人がちゃんといたんだなと、こういう時に改めて思う。(ここまではA面)




生きづらさを感じるというと大袈裟だけれど、この年齢になってくると本人以上に他人から恋愛や結婚の話をふられる。気にしなければいいものの、その度に「人は恋愛しないと生きていけないのか」とか「果たして結婚がこの上ない幸せなのか」とか、相手を困らせてしまいそうな返ししか見つからずに呆れてしまう。柔軟性にどんどん欠けていく感じがして辛いし、その事実を伝えたとて、誰も得しない気がして口をつぐむ。

べつに結婚したい人はすればいいし、友だちにそんな話があれば心から喜んでお祝いをするのだけれど、いまの私はやっぱり優先順位が違うなと思うし、あと4,5年くらいは自分の時間を好きに過ごさせてほしい。本人が気にしていないことを、他人に気にされると、気にしていない私がダメなのかと無駄に落ち込んでしまうわ。(これはB面)

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