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寝る前のメモ。


「こころ」を教えてもらえる人たちとの出会いのなかで、本当の豊かさに気づく。年末は、ドイツ生まれの方からクリスマスの楽しみを教えていただき、とても穏やかな時間を過ごしていたことを思い出しました。

自身の内側にあるものがどんどん変わってゆくなかで、変わらないものやこれまでの関係性との向き合い方を改めて考える日々です。大切にしたい人やもの、ことが増えていくなかで、それでも自分をいちばん大切にできるか。そういう決断ができる「強さ」をもてるのか。

満足感のある「疲れ」を、長らく経験していないような気がしている。わからないものと対峙しながら好奇心に任せて歩き続けるような、何者でもない自分の「渇き」に潤いを与えていくような、心地のいい疲労感に包まれるような、あの時間。

もちろん、歩いたりジョギングしたり、自転車に乗ったりと、何かしら身体を動かしてはいるのだけれど、心身ともにフルで使い切るようなことは滅多になくなってしまった。毎晩、割とすぐ眠れるほうだけど、ポジティブに疲れるというよりもネガティブに疲れている(疲れさせている)状態がここのところしばらく続いている。

焦る時間を無駄に思えてしまう今ですが、この無駄をきちんと愛せるようになりたい。

興味本位で、転職サイト(大手のものではないが)を開いてみた。いま、世の中にはどんな仕事があるのかと思ったのと、私がどのくらい役に立てる人間なのかがわからなくなって。でも、そこに並んでいるどの求人を見ても、結局は地元のことに紐づけようとしてしまうし、そのためだけに外に出ることが今は得策ではない(どこかで経験を積むよりも手足を動かすほうがいい)と感じている。

映画のシーンじゃないけれど、いまの状態でどの会社を受けても、4年前の志望動機を語る自分と同じことが起こりそうで、自然と笑みが溢れてくる。面接官と楽しく話しながら、自分の矛盾点に気づく(あるいは下心が見え見えになる)あの滑稽さ。「仕事、とても楽しそうですけど辞めれるんですか?」と言われる始末(笑)。

クレイアニメをはじめ、自身の見聞を広めるために行こうとしている国外とは違い、自分自身が求めているのは転職という選択肢ではないことがわかり、そっとサイトを閉じた。正直、新しい仕事がしたいわけでもない。

いまの状況を一緒に盛り上げていける仲間と、かたちにしていくための師匠がほしいだけだった。個人としてはアシスタントのように経験を積む場がほしいと思いつつ、それが叶わないのであれば、それこそアシスタントになりたい方に仕事を依頼できる座組みをつくるのがいいよね。横からスポンジのようにぎゅーっと吸収すればいい。そんな簡単なことすら忘れて、ここのところ数日間は悶々としていた。


そうか、そうすればいいのか!と、書いたばかりの文章を読みながら思うのでした。どうでしょう、ちょっとばかり無駄を愛せる気がするね(笑)。

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