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寝る前のメモ。


無意識のあいだにしてしまうことがあるとすると、それは「お節介」なのだと改めて感じる今日この頃。最近は「自分自身に集中したい!」と、そういうことからついつい逃げようとしていましたが、こういうときに出てくる自然な振る舞いは、特性として受け入れるしかないのだろうね。

「アシスト」というと、いつまでも主役になれないポジションなのだと思うけれど、シュートが入った時よりも、相手のボールをスティールできた時よりも、私は、いいアシストができた時が一番うれしかった。

道端で無造作に置かれていたバスケットゴールを見て、10年以上も前のことを思い出そうとしている。なぜ「アシスト」に快感を覚えたのかは、今でもわからないけれど、身長が小さい分生き残るためのすべがそれだったんじゃないかなと思う。

背が低くリーチが短いと、まっとうにプレーするだけではすぐに弾かれてしまう。それは何度も経験済みで、その都度悔しい思いをしてきた。だからこそ、隙を突くための駆け引きが生まれ、相手の油断を見破り、自分よりも背丈の大きな相手と互角にやりあってこれたし、小さいながらに自信をもてるようになっていた。

後付けかもしれないけれど、自分が活躍できる場所(スタイル)を見つけられた、という喜びだったかもしれない。

あとは、シュートを決めるのは個人の喜びだけれど(もちろんチームも嬉しい)、アシストがうまくいけば喜びが2倍になるというお得感もあったのかも(笑)。


こんなに毎日自問自答を繰り返していても仕方がないのだけれど、己を知ることが一番の近道だと思って、気長に・気楽にしていたい。自分の感覚を研ぎ澄ましたり、感性を磨いたり、感情をコントロールする練習のようなことなので。

多分、荒れていた時期や疲れ果てて何も書けなかった日もあるけれど、6月になればなんやかんやで3年続いたことになる。あまり続けることは目的化せずにいようと思いつつ、1日の終わりの時間を自分に充てるためになるべく続いていけばいいなと。


そういう風に、朝の時間にもちょっとした習慣をつくれたらいいなと思っている。身体と向き合ったり、知識を増やしたりするような時間がいいかな。

いまは、お白湯を飲んで肩甲骨をまわしたり、深い呼吸をしたりと、ほんの少しだけやっていて。仕事がもう少し安定したら、本を読むことからスタートできるような日々にしたいけれど、もう少し難しいだろうな。せめて休日だけでもそうなればと思う。


自分自身の憧れが、関わるプロジェクトに反映されている。なんだか滑稽といえば滑稽なのだけど、最後まで尻尾はつかめないのかもしれないよね。

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