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寝る前のメモ。


眠る前に遮光カーテンを閉め忘れたものだから、朝日に呼ばれるように浜辺を散歩した。もともと歩くつもりではいたけれど、自然の光で目が覚めたのはいつぶりだったのだろう。出張で訪れた陸前高田市で、仕事のあいまに1時間だけ自分のための時間を過ごす。

東北を訪れたのは、9年も前の話になる。震災後、錯乱する情報に何をどうすればいいのかわからなくて、誰のじゃまにもならないように、ゼミの先生を経由して一人で福島へ足を運んだ。自分がどれほど無力であるかを思い知らされると同時に、学生だからと話をしてくれた人の姿を今でも思い出す。

何をもってニュートラルと呼べるかはわからないけれど、さまざまなバックグラウンドをもつ人たちから話を聞くことで見つかるものでもあると思うし、五感を通じて得た情報を信じるための知識や経験、感性を今後も養っていかねばと思う。「伝える」ことの原点は、やはりここにあるのだなと、改めて。

目の前には、12.5メートルの堤防があった。かつては町の至るところから海が見えていたのではないかと推測する。津波の被害を受けた建物も、そこだけ時が止まったかのように佇んでいる。けれど、私が感傷的になることは許されないと思った。この11年について、私が知っていることはほとんど何もない。だから、静かに手をあわせ、自分がきれいだと思う瞬間をそっと切り取らせてもらうことにした。(連続テレビ小説「おかえりモネ」の色彩は、この空と海の色だったんじゃないかと思う風景だった)

次はゆっくり、一人で訪れてみたい。

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先週に引き続き、SNSのタイムラインを見ながら困惑してしまう。ウクライナとロシアに関する情報、これから開催されるイベントの情報、国外へ出ている友人たちの写真、お腹が減った誰かのツイート。すべてが同じ時間に起きているのかと思うと、スクロールしながら現在地がわからなくなり、さっと閉じる。仕事もかなり大詰めなので、そもそもそんな場合ではないのだけどね。

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移動をしながら、いろいろと自分のなかで片付いてきた感覚がある。というか、自分のなかにあった数年分の矛盾を一度解して、もっとシンプルにしていけるといい。これまでやってきたことがゼロになるわけではないけれど、絞っていくことで道筋が見えてくると思っていて。

とにかく今は3月を終えることだけ考えて、4月になったらしばらく旅に出よう。方向は真逆だけれど、九州と東北に行きたい。

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