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寝る前のメモ。


「まだ何も起こっていない内から喜んでたまるものか」という、いまにもほどけてしまいそうな意志はありながらも、さまざまな人を案内したり、先の仕事の相談がやってきたりする一週間で、金曜の夜になり、ようやく心の調子がいつもよりも1オクターブ高いところにあったことがわかった。

ずっとお会いしたいと思っていた方々にもお会いし(なんと、亀岡で)、やりたいことの延長上にある相談をいただき、まだまだ不確定なことは多いものの、なんとか未来へとつないでいける兆しが見えてきて。

ただ、本当に実現していこうとするには、あといくつかの要素が足りていない。でも、それらを無理に思い出そうとするとどうも眠たくなってくるので、今日はまた違う話を書こうと思う。

ひさしぶりに中学の頃の先輩からも連絡があって、なんとなくおもしろいことになってきたぞという気持ちが浮わついている。なんやかんやでこの週末が勝負だぞ。

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違う話を書こうと思ったけれど、違う話を書こうとすると不思議なことに何も思いつかない。政治のこと、世界の出来事、TVドラマのこと、趣味や友達とのメッセージなど、きっと何でも書けるはずなのに、何も思いつかない。もしかしたら、それ以外のニュースが何もないのかもしれない。

ずっとそのような心持ちだったせいか、2日続けて散歩に出たけれど、いつものような爽快感は得られなかった。おそらく、情報が膨大すぎて咀嚼しきれなかったんだと思う。

という具合で、何度も書いては何度も消してを繰り返していると、びゅうびゅうと唸るような風の音だけが聞こえてくる。こういう日は不思議なことにカエルはあまり鳴かないのだな。みんな風に飛ばされないよう必死なのかもしれない。

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こういう時にSNSを開きたくなるのは、脳がどこかで刺激を求めている証拠だと思うけれど、今日はもう何も開かない方がいいと思っている。こういう日は、さっさと書き終えてお風呂に入るのが良い。一方で、Twitterが日々の記録のようなものなので、この一週間を思い出すために開きたい衝動と闘っている。

少しだけ未来の話をしておくと、9月にオランダとデンマーク、そして10月にかけてイタリアに行けるかもしれない。イギリスからお客さんを迎える可能性もあり、長野からも仕事のお声がけをいただき、沖縄からは遊びにおいでよと先輩からお誘いをもらった。

思いのほか、すべてを巡るだけでも十分一年はすぎていきそうで、一日一日の大切の仕方を、改めて考えたいなと思うわけです。私はもう少し遠回りをしたい。



あんまり乱暴に書いていい話ではないのだけれど、やっぱり一人ひとりの可能性を引き出せる空間・機能が、より良い地域づくりにつながっていくと思うんだよね。だからずっと自分を断定せずに、他者に対して寛容でいられる心のスペースをつくりたい。放っておくとどんどんスペースは狭くなるし、どちらかと言えば怒りやすい気質だからな。

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