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寝る前のメモ。


すっかり秋めいてきた地元の風景。稲刈りを終えた田んぼも増え、あぜ道には彼岸花が咲きはじめる。夕方、近所を歩くと籾殻の匂いがする。これは、わたしにとって新米ができたことを知らせる合図のようなもの。

山と田んぼと彼岸花の風景は、小さい頃からずっと眺めてきたはずなのに、毎年必ず感動してしまう。話を聞けば、江戸時代から変わらない風景のようで、ますます大切にしたくなる。そこに生きていたかもしれない人々の心にも、きっと寄り添っていた風景だったのだと思う。


家族以外にも大切な人が増えて、好きになってしまった場所であったとしても、一度地元を離れようと思うのは、自分自身の知見・経験にそろそろ限界がきていることを感じているから。いまの仕事のほとんどは、学生時に引き篭もった図書館と実際のフィールドで学び・実施してきたことでなんとか成り立っているのだけど、それぞれの分野においてもう一段階パワーアップをせねばと思っていて。

思考のクセや伝え方について、共通認識の多いコミュニケーションばかりをしていると、それ以外の人にはなかなか伝わらない事態が起きる。丁寧に対話をすればすり合わせられるものもあるけれど、相手がそれを求めていないケースもあるので、これまで築いてきた前提を一度崩してみたいと思ったし、そうすることで幅が広がって行く気がしている。無謀といえば無謀だけれど、いまの自分を客観的に見られる距離まで離れたい。自分の人生を生きているので、矛盾するようだけど。


こういう相談をできる誰かがいたらいいのだけれど、昔からわたしは友だちと言えるほどの友だちが少なく、割とすべて自己解決をしてきたほうだった。人に相談するときは99.9%答えを決めていて、最後のひと押しをしてほしいだけ。ただ、いまの仕事をはじめる時に背中を押してくれたのは、高校の時の友だちだったし、なかなか会えない今でも気持ち的に(勝手に)支えられている。本人には言わないけどね。


ここのところしばらく回顧的になっているのは、これからを考えるうえで大切にしたいピースを探しているから。あんまり過去を振り返りすぎても前には進めないし、そろそろ納得感をもって決断できそうになってきたので、明日は片っ端からやるべきことを片付けていこうと思う。


ちょっとだけ落ち着いたら、行きたいと思ったままだった京セラ美術館や常照皇寺に行きたい。平日がいいなと思いつつ、なかなか時間が取れていないので、その日だけは近々どこかで確保しよう。

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