見出し画像

寝る前のメモ。


とても大切な会の進行をさせていただくことになり、10月のことなのに今から緊張している。今のうちにたくさん緊張して、いろんな人たちのお話を聞きながらしっかり準備ができたら当日はきっと大丈夫。今年はそうやって近い未来に向けて種をまく。

・・・

昨日は10年来、今日は20年来の友人とひさしぶりの再会をした。

10年前、20年前に一緒にバスケットボールをしていたみんなとの再会。それなりにハードにやっていた分、人それぞれに受け取り方はあると思うのだけど、私にとってはかけがえのない時間だった。

就活をするようになってから「体育会系」という言葉を耳にする機会が増え、なんだそれはと思っていた。どうやらあまりいい意味では使われていないようだったし、世の中の大きな分類のなかでは私もそちらに入るのだという。大好きなバスケットボールを14年ほど続けたわけだから間違ってはいないけれど、そう言ってくる人のことがニガテだった。

ずっとやってきたことなら誇りを持って、胸を張って「体育会系です」と言えばよかったのだけど、常にひっかかっていたのは「スポーツ」というものへの誤解がそこに生まれているということだった。

学校教育における「体育」がニガテな方の話を聞いていくと、決して体を動かすことが嫌いなわけではないという。そこに他者との競争が生まれたことで、幼少期のうちにニガテ意識が生まれてしまったようだった。

もちろん、何度か優勝を経験したし、勝ち負けがあるから楽しんでいたところはあると思うけれど、いちばん嬉しかったのは「昨日できなかったことができるようになる」というとてもシンプルな結果についてだった。喜びの方程式ではいちばんシンプルなんだと思うけど、昨日できなかったことが今日できて、今日できなかったことが明日できるようになる。それの連続で知らず知らずのうちに夢中になっていった。

話が外れてしまった気がしますが、昨日よりも身体が柔らかくなる、昨日よりもジョギングのタイムが早くなる、あるいは走行距離が伸びる。昨日よりも景色を楽しみながら山を登っている。そういうちょっとした変化を喜べるのがスポーツのいいところ。オリンピックやパラリンピックは、スポーツという分野においてそういう積み重ねをやってきた人たちの祭典だし、だからまっすぐで感動できるんだよね。

ということで、小学生の頃の思い出からとても派生してしまいましたが、不思議なのは、小学校の友だちとの方が案外仕事の話をするんだな。まっすぐいられた頃の思い出は、明日の私に強さを与えてくれる。

いただいたサポートは、より良い文章をかけるように有料noteや本の購入にあてさせていただきたいと思います◎