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寝る前のメモ。


ここのところ日の出が早くなってきたので、アラームの設定時間を少しばかり早めてみる。朝夜はまだ、暖房を入れないと肌寒く感じてしまうのだけど、それでも徐々に春が深まっていることはわかる。

視界に入る自然の緑はギラギラと鮮やかになり、ツバメたちは巣づくりの偵察にやって来ている。気がつけば、4月も3分の2が過ぎようとしていて、小さな畑を耕していた一年前とは随分違っていることを感じている。(今年も耕したいし、梅も漬けたい)

そういった状況でありながらも、昨年行けなかったイタリアの代わりに、というわけではないけれど、仕事も少し絡めながら、今年は静かに西へ行こうとしているのだけどね。

ここのところ、窓から差し込む夕日があまりにきれいで、数ヶ月ぶりにカメラを持って外に出た。

半年ほど並行していたいくつかのプロジェクトでは、フォトグラファーの方々が素敵な写真を撮ってくださるし、映像にも残るし、わたしは報告書用の記録写真をパシャパシャとiPhoneに収めるだけでよかったので、エクリュをもつこと自体もひさしぶり。一眼に関しては、宮子(89)が入院してから一度もスイッチを入れられていないと思う。

いつもついついリュックにPCを入れてしまいますが(仕事なので当たり前なんだけどね・・)、ひさしぶりにカメラだけを持って出歩くようなことがしたくなってきた。自転車の速度でもだめで、やっぱり徒歩がいちばん適している。


自転車で走っていると、ふと、炊き立ての餡子の匂いがした。こういった匂い、あるいは音というものは、写真に収めることができるのか?という素朴な疑問が湧いてきたので、もし写真を撮っている方に質問できる機会があればしてみたいと思う。

最近は、TVやSNSを見る回数も減ってきたので、ますますニュースには疎くなっていますが、ある雑誌の表紙を見たときに感じた違和感を、批判ではなくちゃんと違和感として伝えてくれている方がいてよかった。

ものや情報が溢れる時代に(それに付随してお金も?どうだろう)、手にしたくなるものや大切にしたくなるものを、ちゃんと自らの手でつくっていきたいとつくづく思います。今は具体的なプロダクトというよりもサービスなので、無形の状態にはなるのだけれど。

「自分たちの視点」みたいなものを他所から無理やり持ち込むのは、フェアじゃないというか、地元側の人間としては気持ちがいいものではないので、不格好でも内側からちゃんと伝えていくことをしたい。やっていればそのうち、信頼できる誰かが整えてくれると思うしね。

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