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寝る前のメモ。


2年ほど前から、2021年には一度区切りをつけて国外へ出ようと考えていたのだけれど、これでよかったのではないかとようやく思えるようになってきた。(もちろん、そうするしかできないことに折り合いがついてきたとも言える)

外の国へ行くことが、逃げではなくチャレンジである状況をちゃんとつくりたい気持ちが強くなっていて、そこに納得したい自分がいるからだと思う。もともとチャレンジのつもりだったけれど、やっぱりどこかで現状から逃げたい自分もいたと思うので。

それに、じっと大人しくすることができず、2020年にいろいろはじめてしまったものだから、はじめた以上はそれらをちゃんとカタチにしていきたいし、どうせ国外に行くならそれらと一緒に行きたいような気がするもんね。

もちろん、日によって、あるいは状況によって、感情が行き来することもあるけれど、そこに対してある程度ストンと納得できたのであれば、もう一年がんばってみたい。どうせやるなら、次につながる何かとともに。



この一週間が短かったのか、長かったのか、やっぱり短かったのか、正直なところわたしにはわからない。気がつけば一週間が経っているという事実はあるものの、何をしていたかあまり記憶がなくて。仕事が忙しいのかもよくわからない。(何かと調整ばかりの一週間ではあったと思うけど)

感情を素直に受け入れたほうがいいのか、かき消した方がいいのか、それすらもよくわからないままに、気がついたら時計の針だけがぐるぐるとまわっていた。しばらくはずっとこうかもしれないし、そうじゃないかもしれないけれど、何をどう足掻いても、わたしはわたし以外になれないことだけは心に留めておきたい。



言葉を使う仕事をしているはずなのに、言葉は時として無力だと感じてしまう。何かを伝えようと思っても、言葉でそれらを100%伝えきるのはなかなか難しくて、だからこそ、あんまり考えすぎずに出てくる言葉に口の動きを委ねる?被せる?任せる?しか方法はないのかもしれないと、非力さに呆れてしまうこともある。

それに、言葉は、歳を重ねるごとに重みが増し、年月とともに魅力的に感じられるものだと思うので、何れにしても20年そこらしか生きていないわたしから出てくる言葉なんてたかが知れているだろうし、整えられた言葉はそもそも求められていない気がして。

最近はなかなか書けていないけれど、そろそろ記事を書く仕事もしたいなと思いつつ、進行中のプロジェクトのことを思うと2月いっぱいは厳しいかなと思いつつ。小休止する度に毎回言ってたら呆れるけれど、来年度はもう少し書くほうの仕事もやっていけたら。なかなかそちら側の脳みそを使うことはご無沙汰しているので、そもそも書けるかどうかも若干不安はあるけどね。


少なくとも4月には時間ができていると思うので、お花見がてらそういう時間にしていけたらいいのかな。

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