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寝る前のメモ。


昨日まで使っていた脳といきなり変わるものだから、あたまがついて行かずに夕方あたりにプツリと充電が切れた。こういう時は座って考えるより動く方が良くて、ひとまずジョギングに出る。日に日に近づく秋に五感をめちゃくちゃ刺激されて、あたまに余白ができ、いつの間にか次のことを考えはじめていた。体を動かすことも好きだけど、どちらかといえばスペースをつくるために走っている。

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数百メートル走っただけで、「政策は認知科学(cognitive science)だ!」と一限目から熱く語っていた先生の顔が浮かんできた。(これはきっと秋のリラックス効果。)

定性的なデータは体感としてもこの数年で集められたと思うと、やっぱり次はそれらをもとにプロセスをデザインしていきたくて。そのためにはやっぱりサイエンスの力が必要というか、定量的な裏づけをもとに伝えていく必要がある。ただ、いきなり政策の分野に活かせるかというと、私のスキルはそこに達していないので、まずは自分で仮説を立て、定量データを集めるための事業をつくる。さまざまな体験を通して、人が “思わずそうしたくなる” の要素を分解していくというか。

その背景にあるものとしては、「まちづくり」と呼ばれる分野が最終的に人の善意・熱意に委ねられるという状態があまり健全ではないと思っていて。しっくりくる言葉ではないけれど「主体的に住まう」ための施策や参画プロセスをつくっていかないと、人口減少が進む地域の未来はただただ重いわけだし。気候変動による災害は人任せでどうにかなるものではないし、ある意味自分たちが賢くならないといけないというか。

政治家になりたいとか、行政で働きたい、とかは全然思わないのだけれど、やりたいことでいえば、まちで心豊かに暮らすためのTipsを開発していくようなイメージかな。この辺りは自分でもあんまり整理できていないのだけど、純粋にこの暮らしを気に入っているし、どうせなら100年住んで楽しい場所がいい。

なんで急に先生のことを思い出したのか・・・と思いましたが、昨日母校に行ったからかな。記憶のトリガーなんて至るところにあるはずなのにそれすらも忘れているらしい。とまあ、認知なんてそのくらい曖昧なものだから、環境や五感を通じた情報が思考に作用することをちゃんと数値で知りたい。

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最近、話すのが本当に下手になったと思うシーンが増えて、いよいよか・・・とアナスクールに通おうと思ったくらいなのですが(体験は行ってきた)、単純に「いきなり本題に入る」類のコミュニケーションが増えただけなんだと思う。

研究者とかクリエイターとか、そういう人たちとのコミュニケーションが日常的に増えたり、多くの情報や体験を共有している地元内でのコミュニケーションが増えたりで自然とそうなっていったというか。それに気づけただけで、なんかこう2年くらいのちょっとした悩みが無事に解消されました。

何れにしても、最近は興味のあること以外話せなくなってきているので、ちょっとだけ幅を広げる練習をしたい。こうやって内省的なnoteを書くことは、むしろ幅を狭めるような作業なんだけどね(笑)。

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