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寝る前のメモ。


私はまだ、30年も生きていないわけですが、企画を通して幅広い世代の方々と出会います。これまではずっと、同世代の人に伝えたい、あるいは次の世代に届けたいモチベーションが高かったし、優先順位としては今も変わらないんだけど、先日お会いした50代の方のことが忘れられないでいて。

正直なところ、私がどうにかできることは少ないけれど、その方とのお話を経て、事業に関する視野と構想が広がる感覚があったんですよね。まずは観光の軸が立てられてからになるけど、その先に教育と福祉の領域へも関われるようになりたいと、改めて強く思うのでした。

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基本的に私は、どんな人にも必ず役割があると思っている。たとえ、勉強や仕事がみんなと同ようにできなかったとしても、その人の得意や興味は必ずどこかで生きてくるのだと。(今の段階でカバーできるのは、その人が “よく生きようとさえすれば” という前提はあるかもしれないけどね。無意識のうちにその辺りは自分でも判断しているのだと思う)

少なくとも、私が出会った前述の方は、物腰が柔らかくて好奇心に溢れていて、とても自分の人生を諦める必要はなかったように思う。私にも「妄想が膨らむと、あなたのこういうスキルと資格を組み合わせたら・・・オリジナルな体験が提供できますね!」と言葉をくれたことを思うと(それが ≒ で私がやりたいと思っていた事業そのものだった)、想像力も豊かな方だと思っていて。旅をする楽しさは何なのか、ずっとにこやかに質問をしてくれていた。

何かできる余力があれば、今すぐ一緒にできることを考えたかったけれど、今の私では到底力が及ばない。今は目の前のことだけに集中しなければと思う一方で、こういう時はやっぱり悔しさのようなものが溢れてくる。その方は、ちょうど父・母の世代だと思うと、世代的な価値観にも引っ張られているように思うし、できることなら力になりたい。でも、中途半端には関われないというか、関わってはいけないもどかしさも間違いなくそこにある。

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どんな人にも役割があるとすれば、その人の「得意」を知る必要があると思う。「好き」や「できる」、ではなくて得意を知る。誰しもが、〈好き・できる = 得意〉とは限らないと個人的には思うので、あくまで知りたいのは得意。本人でも気づいていない潜在的な「得意」が、誰にだってあるのだと思う。そういうものを、ジブリのプロデューサー・鈴木敏夫さんは掃除で見抜いていくという。

(ちなみに、スポーツの世界では〈得意=技〉として取得していくことで、その人だけの武器になる。)


相手の「得意」を知っているから、いいアシストも出せる。これは日々の仕事にも通ずることだと思う。

そこまで回収するのが先か、自分自身の得意を見出せずにこのまま終わるか、私にとっては勝負の1年。でももう、“あなただから”と言ってもらえた言葉の方を信じていきたいかな。

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