見出し画像

寝る前のメモ。


月に一度何かしらのかたちで森の活動に参加できている。少々お酒が入っているせいか、20年前の記憶が蘇ってきた。

・・・

小学一年生だった頃、六年生と一緒に帰れる日はランリュック(ここは重要。笑)を置いてすぐに近所のお姉ちゃんのお家に遊びに行っていた。お姉ちゃんの家は陶芸家で、粘土遊びをする延長のように土をコネ、かたちをつくり、しばらくすると焼き物が届いた。ほかにも、山の斜面を活用してワイルドなブランコがあり、窯ができ、小屋ができ、野苺を食べ、自然とともにある恵をふんだんに楽しんだ。

同時に、小学生だった私たちにとってブランコは人気コンテンツで、新入生を迎えると遊びたくても遊べなくなった。それをおじいちゃんに伝えたのかどうかはわからないけれど、ある日おじいちゃんの牛小屋にブランコができた。正真正銘、自分のためだけのブランコ。嬉しかったのと、軽トラの後ろに乗れるから、学校帰りはいつもおじいちゃんの牛小屋が遊び場だった。

小学二年生でミニバスケットボールをはじめてからは、友達の家に自転車で遊びに行くようになり、遊び方も秘密基地をつくることにシフトしていた。学校から全力疾走で帰り、宿題を終えて中洲を拠点にしながらたくさん冒険をした。好きがこうじて、友人の庭に小屋をたてたりもした。小学四年生でノコギリを使うのが時期尚早なのかどうかはわからないけれど、竹を斜めに切り、三脚に乗って大きな金槌で地面に支柱を立てていく。おばちゃんに買ってもらったブルーシートで壁と屋根をつくり、自分たちの基地に担任の先生を招いたときはとても誇らしかった。

ミニバスが忙しくなる頃には(当時、平日は練習で月曜日しか休みがなく、土日は練習試合か遠征の毎日)、休みが惜しいとアスファルトの上で1on1をしたり、フェンスをよじ登って大学の屋外コートに潜入して、言葉通り寝ても覚めてもバスケをしていた。また、コートの近くには山から流れてくる湧き水があって、よく飲んでいた。(お腹は一度も壊さなかった笑)

前もどこかで書いたかもしれないけれど、小学五年生の頃には総合の時間に地元の川に入る授業があって、みんなの希望で川に入りすぎて社会見学に行けなかった。けれど、自分たちも仕方がないと納得していた。

・・・

今日、森のなかにいて気がついたのは、当時は「誰にも遊び方を止められなかった」ということ。誰かが怪我をすればそこで縫うような出血をしようが自己責任だったし、そういう怪我があったとしても、遊ぶことそのものを注意されることはなかった。

当時のやり方に戻る必要はないけれど、何が変わってきたのかはちゃんと理解しておくほうがいいと思う。

いただいたサポートは、より良い文章をかけるように有料noteや本の購入にあてさせていただきたいと思います◎