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寝る前のメモ。


雨はつづくし、悲しいニュースもつづくので、楽しいことをしようとパフェをつくる。パフェといってもグラノーラは購入していたので、あいだにヨーグルトを挟んだだけだったけれど。

最近の悲しいニュースは、仕事をしているだけでは解消できない感情もあるので、小さなとっかかりを見つけていきたくて。これまでやってきた仕事は、自分の半径数メートルのところにふかふかのベッドをつくるようなこと(ある方にそう言われたので、そういうことにしておきます)をしてきたのだけれど、例えば、入管や人権、ジェンダーのところにはなかなかたどり着けていない。

そういう問題が見えていないのか、たまたま近くで起こっていないだけなのか・・・というところですが(「起こっていない」はないと思いますが)、とりわけ人権やジェンダーの件は地域に近くなればなるほど見え隠れする瞬間もあるので、複雑な社会を複雑に理解できるチカラをつけていきたいと思うのでした。複雑な状況のなかにも、一人ひとりが心安らぐ瞬間はつくれると思うので、どちらかといえばそういう小さな兆しを提供したい。

私にとっての「正しさ」が他者にとっても「正しい」とは限らないし、ありとあらゆることを0か100か、白か黒かだけで判断してしまうことは危険だと思っている(もちろん、倫理感がはたらいている前提で)。自分自身すらもこれだけグラデーションのなかを漂っているので、もう少し曖昧でいることを許容できる社会でもいいんじゃないかというか、、うまく言葉がまとまらないな。

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一般的な映画の製作過程をもう少し知ってみたくて、さっきまで映画プロデューサーの方が主催するイベントに参加していました。

高校生の頃は、自分に直接関係すること(=バスケットボール)以外にあまり興味が湧かなくて、「先日観た話題の映画がよかった」とか「〇〇という俳優が出てるから絶対映画館で観たい」とか、そういう話があまり得意ではなかった。話題のドラマも何から何までは見ていなかったしね。

それに加えて、高校生の頃の映画といえば漫画の実写化かドラマの番外編だったので、その状況にどこか飽きていて「現実社会の方が数倍おもしろい!」と思うようになったんだと思う。物語としてのSFも、マシーンや戦闘系も現実味がなさすぎて結局一度も見ぬまま今日に至っている。

そこから、仕事で地域の映画をつくるまでは、映画を観た記憶がほとんどなかった。けれど、制作した映画とともに参加をさせていただいた映画祭で映画づくりに対してとてつもない熱量をもった人たちと出会い、「映画」という表現の多様さに気づいたんだよね。帰国後にいろいろと観るようになったので、まだまだ本当の楽しみ方はわかっていないのだと思う。


一番はじめにちゃんと観た記憶のある映画は「Cool Running」。ジャマイカの青年たちが、南国とは無縁のウィンタースポーツ・ボブスレーの選手になり、冬季オリンピックを目指す物語。ほかにも、ミスタービーンとホームアローンも観ていたけれど、物語として一番印象に残っているのは「Cool Running」かな。

こういう、自分(たち)で自分(たち)自身のことを信じ、チャレンジしていく物語が好きなんだと思う。サクセスストーリーかどうかではなく、その過程に引かれるものがあるよね。

今取り掛かっている仕事が終わったら、何か映画を観よう。

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