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寝る前のメモ。


なぜ「パブリック」にこだわるのかといえば、それが思考や行動のベースになる大切な要素だからだと思う。だれかの思考を操作したいわけでもないし、みんなが同じ考えでもおもしろくない。でも、基礎のところがもう少しアップデートされたら、応用の仕方も工夫が生まれると思うんだよね。

ただ、私自身に一点突破できるほどの力量はない。自分で言い切ってしまうとそれはそれで悲しいのだけれど、やっぱり頭のいい人や飛び抜けたスキルのある人が身のまわりにたくさんいるなかで、その人に追随するよりも、学ばせてもらいながら隙間を探す方が全体としてのおもしろさはつくれるんじゃないかと思っていて。何かひとつに特化できない私は、隙間産業で生きていくしかないと思う。

(私だって人間なので、他人を見て羨ましかったり、悔しかったり、嫉妬だったりはちゃんとある。ただ、比べるポイントはそこじゃないし、やりきれなかったとしたら、それは自分のがんばりが不足しているだけのことだから)

パブリックの話に戻すと、思考のベースをつくることは議論の土台をつくることでもあると思っていて。「Yes」か「No」か、という議論というよりは、わからないものについてをみんなで考えられる土台かな。悲観的にならないくらいの想像力を育みたい。

他者を排除したコミュニケーションは楽で早いけれど、私がそればかりを好まない理由があるとすれば(早いコミュニケーションのなかで生まれるものも時と場合によっては大事)、でこぼこした状態に「LIVE」を感じるからだと思う。手触り感があるほうを、最終的にはなぜか選びたくなってしまう。

(同時に、シンプルで洗練されたものも好きだけどね)



こうして書いていていも、矛盾だらけの毎日だろうし、思考回路もきっとその時々によって違う。たくさん仕事を進めたはずなのに達成感がない日もあれば、メールを返しただけで仕事が終わった気分になる日もある。

身体的に動くことで働いたと感じていた前半から、あたまを使うだけでは働いたと感じられなくなっている最近ですが(自分のことながらややこしいわ)、それはそれとして。


日数だけ見ていると、あっという間に1月も終わりを迎える。でも、今月は本当に長く感じるな。心の動きが激しすぎたこともあると思うけど、思考がついてきていないのが手に取るようにわかる。週末は届いた本にどっぷり浸かってみるのも良さそう。結局映画も観れていないままだったな。

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