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寝る前のメモ。


大体のことは必要に駆られて、あるいは興味があって、あるいは力になりたくて動いている。この3つが大きな原動力で、それ以上でもそれ以下でもない。

必要に駆られて、というのはなんとなくそうせざるを得ない嗅覚のようなもので、今年は必要になるだろうということで、オンラインの英会話スクールを始めた。25分というのが絶妙なのか、ほぼ毎日レッスンを受けることができていて、これは新しい発見だった。時間は確かにつくれる。

ゆるやかに公開した写経のプロダクトについて、今取り組んでいる亀岡の観光・治水分野について、移住のプロジェクトなど先生の興味にあわせて話す内容を変えながら。基本はテキストがあるので、それに沿って進めていくのだけれど、プロダクトについては海外展開も視野に入れたいので、いろいろな隙間で話題にしてフィードバックをもらっている。

あわせて、「リゾート開発が進む私たちの街にも自然が必要だ」「仏教は宗教ではなくありようだ」「若い世代が移住・・・ナイトライフは?!」というような話がちょこちょこと入ってきて、ただテキストを進めるよりはこういう話をしていたいのだと思った。肌感として得たいものは、日本にいるだけではそろそろ限界だとも思う。

今日も「観光だとメインのお客さんはアメリカやヨーロッパでしょ?」と聞かれて「いやいや、私はアフリカとの文化・自然・歴史の共通点を見つけたい」と即答していた。私たちは「違い」がある前提で共通しているということを、なんとなく形にしていきたいなと思うので、やっぱり総合の旅行業も取らねばと強く思う。フラットにしていきたい。

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興味があるかどうか、ということは大切にしたいポイントで、働きながら勉強ができる今の環境は本当にありがたい。フィールドに対する解像度を高めていくことで、さまざまなテーマにおけるコーディネートの依頼がやってくるようになってきた。まだまだ知らないことばっかりだけどね。

他方、ハイスピードで少子高齢化社会を迎えている日本は、世界の教科書(サンプル的な意味で)になると思っていて、移住計画や田園回帰系のプロジェクトを台湾や韓国から見つけてくれていることの先に、これからそういう社会を迎える国々にとって、一つの判断材料になればいいよね。幸せに発展していく方法を見つけるというか、自然とも共存しながら互いに繁栄していくようなイメージかな。

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最後に挙げた「誰かの力になりたい」という気持ちは、人との関わりあいのなかで生まれてくるものなので、静かにずっと大切にしている。それがお金になろうがならまいが、そうしたいからしている。

一方で、必要としてもらえることはありがたいし、できることは惜しみなくやりたいのだけれど、このままずっと己の至らなさを感じ続けるのか・・・といった虚しさのようなものもある。どこかでグッと一人集中したからといって解消できないかもしれないけれど、今年は20代もいよいよラストだし、バランス良く・・・なんてあまり考えないほうがいいんじゃないかと思っていて。

限られた時間のなかで優先順位を考えながら、わがままを承知でやれるだけ全部やるみたいな感じかな。あれだけ楽しみにしてきたのに、あと一年で30歳と思うとちょっと焦りも混じるんやろな。

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