見出し画像

寝る前のメモ。


いまの取り組みとどうつながっているんですか?と聞かれるとうまく答えられる自信はないけれど、20年前に画面越しに見た光景はずっとあたまの中にある。当時小学4年生だったわたしは、ミニバスの練習に行く前に知ったと思うんだけど、何度も映像がループして練習になかなか集中できなかった。

それからイラク戦争が始まり、日常的に辛いニュースが増えた。「戦争」というものは、授業で習う第二次世界大戦で終わったものだと思っていた。そのとき、衝動的に「これは知らなくちゃいけないことだ!」と思ったのと、「今の気持ちを伝えなければ!」と、原稿用紙を探して「戦争」というタイトルの作文を書き、親や親戚の前で朗読した。宿題でもなんでもなかったけれど、その当時の気持ちを表せるものは作文しかなかったのだと思う。

その後、何かのタイミングで同世代ぐらいの難民の子どもを見かけたときに、すごく違和感があった。バスケットボールをしている自分と、今日のごはんが手に入らない子どもとの間に、とてつもなくギャップがあることは感じたけれど、どうしていいかわからなくて。目の前にいたらわたしの分をあげられるのに、と何度も思った。お正月のユニセフ募金は毎年していたけれど、それが本当の解決につながるのかはわからなかった。

そこから、政策系の学部へ進むことになったのだけど、政策を勉強しながら感じる限界もあり、もっとたくさんの人とともに考えなければいけないとか、人のこころを動かしたいとか、問題の背景を正しく知りたいとか、いろいろあって。でも、世界の問題を考えれば考えるほど日々の生活から遠すぎて、自分の関わり方もわからなくて(責任をもてないのに学校をつくるとか、そういう中途半端なことはしたくなくて)、だから身近なところからステップをつくる方へ移行したんだよね。

正直、いまでもまだ遠い。けれど、いまやっていることの先に必ず接続点をつくりたいし、つくれると思っている。課題解決におけるクリエイティブの意味や、責任をもって関われる関わり方をもっともっと考えていかないとね。

そのためには、肩の力がガチガチに入っている状態ではだめだと思っている。使命感だけで何かできるほどの、あるいは、人を心から喜ばせられるだけの、現地で活かせるスキルがわたしにはないから、いきなり行って役に立つことの方が少ない。それに、自分の身ひとつを立てることもなので、しばらくは基幹となる事業をつくることに専念しつつ、あいだにコツコツ知見をためていく感じかな。

まずは、やさしい入り口をつくる。

いただいたサポートは、より良い文章をかけるように有料noteや本の購入にあてさせていただきたいと思います◎