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寝る前のメモ。


公共とビジネス、ビジネスと興味、興味と公共、それから遊びと生活。そういうところを無理に分けようとすると自分がしんどくなってしまうから、無理に分けようとしないのが現段階でのベスト。より深く知りたいことと(研究的)、楽しみたいことと(興味的)、とにかく実践がやりたくて、いまは手段としてたまたま仕事がある状態。だからどこかの琴線に振れるものは、大体全部やりたい。

これは私にとって適切な状態であって、ほかの誰かにとってもそうだとは思っていない。ひとつのところだと窮屈さを感じてしまいやすい体質だから常にリスクヘッジを考えて分散させている。それに、私がやりたいことは基本的に私一人では実現しないことが多いので、みんなで強くなることは心に留めていて。

人間だし、トップアスリートが集まる環境ではないので、「まじか」と思うことも時々起こりますが(私自身に思われることもあると思う)、それでも、やれる人がどんどんやっていけばいいと思っている(それが結果的に自身の血肉となっていくので)。目の前にある事実が割とすべてなんだよね。かっこいいことを言おうとしているのではなくて、そこに対して価値を見出すために私自身も案外必死だよ、ということが伝わればいい。そこの価値を見出せているかどうかが、6年間の答え合わせ。

この「諦めたくない」という気持ちの根底に何があるかわからないのですが、やっぱり自分たちの手で自分たちの誇りをつくっていくことは、もう一歩チャレンジしてもいい頃だと思っていて。

ありとあらゆる方面へのリスペクトはありますが、やっぱり自分たち自身で自分たちが住まう場所の基準を見出していかないと、何となく責任はそこに伴わないと思っていて。誰かによってつくられた基準には必ず逃げが生まれる。(むしろ、そうだからいい状況もありますが)

公的な立場からでは難しさがあるのであれば、民間サイドとしてできることをやればいいし、民間サイドで難しいのであれば公的なサイドでやればいい。限りなく公共に近いところにいることは理解していますが、それ以上になりたいとは思わず(行政・政治)、やっぱり民間でいたいのだと思う。だってまだ、ストップモーションのスタジオ構えられていないもんね。


とある物件を見せていただきながら、少しイメージも膨らませつつですが、新たな出会いや機会も見つけていけそうな気配があったので、自分としてはもう少しぱちっとくる瞬間を待ちたい。肌感覚を信じたいのは、それが自身の知見による統計上の「感覚」であると何となく思っているから。

わからへんけど、そういうことの繰り返し。

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