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寝る前のメモ。


こちらの「伝えたい」が先行していないか、参加者が置いてけぼりになっていないか、少し気になるところはありましたが、トークイベントはすこしくらい消化不良で終わるくらいがちょうどいいのかもしれないな。自分が過去に心を動かされてきたものも、案外そういうところからはじまっている気がして。

対面で話したり、そのあとに流れで飲んだりできないこの時期だと尚更で、噛み砕ききれない・腹落ちしていない、という状況があってはじめて能動的に考えたり調べたりすると思うので、なんだろうな、ここのところしばらくはその辺りをすこし忘れてしまっていたような気がします。

言葉を選ばなければ、未来に向けた不安には寄り添いたいけれど、すべて御膳立てしないといけないのはすこし違うというイメージでしょうか。脳みそも(肉体も)体育会系なのでこういう言い方しかできないけれど、アクションを起こさないのはそこまで動機が明確でないのと同義で、自分の興味や動機を明確にしていくためにイベントに参加するわけなので。参加して「違ったな」と思うのは自由だけれど、そこから意地でも得てやるんだ!という気持ちがないと何も得られない。(これは自分にも言えること)

やっていることはクライアントワークなので、もちろん先方の意向は組まないといけない部分があるのだけれど、自分たちが出会いたい人と出会っていくためには、そういう視点も必要なのだと思う。すこしずつ出会えてきたものの、その辺りがずっとモヤモヤしている今年だったので、そういうことか!とようやく言語化の兆しが見えました。(もちろん参加してくださる方の満足度がすべてなのだけど、欲を言えばそういうところも含めてイベントに来る醍醐味だと感じてもらえる人と出会いたい)

とはいえ、大前提として企画側の場に求めるものが一方的であってはいけないので、そのあたりのチューニングは必要ですかね。全員がミュートでシーンとした時に緊張してしまう(伝わっているか不安になる)くらいなので、まだまだやれる余地があるなと思うイベント進行でした。もっといろいろチャレンジしていこう。



私は結構、売り言葉に買い言葉の気質があるので、ムッとすることを言われるとムッとする言い方で返してしまう。流石に大人気ないなと思いながらも、そういう言い方しかできないなら私だって・・・!という伝え方になってしまう。そうなるのが分かっているからこそそうなるのが嫌で、そういうことが起こりそうな時には距離を置くようにしていたのだけれど、今年はそれができない。

じゃあどうするのがいいか・・・を帰り道に悶々と考えていると、墓地の前で鹿と対面した勢いで(黒い影に驚いて)そんな小さな悩みはどこかにいってしまいました。

結論としては、自然界モードだった自分自身のテンションを多少なりともあげていく、ミニ修造モードで明日からを乗り越えていこうと思います。そうやろうとして、そこまでやらなくていいと言われ、でもやっぱりそうしていくほうが自分らしいなということです。中途半端は自分がいちばんやりづらい。

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