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無欲は悪だとしても 運動神経が悪いということ Vol.44

昨日も今朝も、雲一つない青空を拝めた。先週末から盛夏休暇に入り、丸1週間以上になる。この間、予定といえば初日の心療内科と昨日のお寺参りくらいだったが、遊ぶ気力も無い身には、ただ休めるだけでありがたい。異動によって数ヶ月間、かつてないほどの残業時間に苦労した今年は、喜びもひとしおだ。休暇入りの前日は日の入り前に帰宅できて、アパートから数日ぶりに戻ったわが家が助け舟のように見えた。

先日、新しい一万円札を初めて手にした。渋沢栄一については、2021年の大河ドラマ「青天を衝け」で記憶に残った限りのことは知っていたが、この言葉は知らなかった。「無欲は怠惰の基である」―「日本資本主義の父」の金言も、私にとっては耳が痛い。

まだ30代も半ばだったか。前の資格に昇格した際、同じ立場の同僚たちと研修に参加させてもらった。昇格といっても、数年遅れ。参加者の多くは歳下で、根回しのことを"コンセンサスマネジメント"なる長たらしい横文字で表した肝心の内容はまるで憶えていないが、一つだけ、繰り返し思い出す場面がある。「口が悪い」なら、「正直」とでもなるだろうか。リフレーミングという呼び名もあるようだが、ネガティブな言葉をポジティブなそれに言い換える演習があり、参加者が答えに窮するお題があった。「やる気が無い」―それは「無欲」と言い換えればよいのではないかと、そのときの私は思ったが声に出せなかった。

渋沢の言葉を知り、再びあの研修を思い出した。もし、あの場で発言していれば失笑を買っていたかもしれない。それは、新たな紙幣の顔に言わせれば「怠惰の基」であり、答えられない同僚たちが正しかったのだろう。自らに当てはまる「やる気が無い」という欠点を、「無欲」という美点でもあると思っていた私が数年後に現資格へ降格させられた事実が、何よりの証しだ。

先月来、兵庫県は大揺れに揺れている。渦中の知事に票を投じていない県民の一人としては、県政が一刻も早く平静を取り戻すことを願っている。しかしながら、疑惑絡みで2名の命が奪われ、側近が続々と離れていく異常事態にあってもなお、当の知事は「県政を前に進めていく」おつもりらしい。これこそ、「意欲」の漲った人物が世にもたらしかねない弊害だと見なすのは、曲解が過ぎるだろうか。

「無欲は怠惰の基である」、確かにそのとおりかもしれない。ただし世の中には、無欲な人たちだって存在する。問題は、そんなやる気の無い怠惰な人たちが、渋沢の言葉に共鳴できる"意欲的な"人たちと分断され、融和できないことではないだろうか。そういえば、蝉の声が小さくなった。人並みより長い連休も、終わりが近づくにつれ憂鬱になる。



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