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市民ランナーに拍手 第3のリベロ Vol.23

明日、3年ぶりに神戸マラソンが開催される。2年のブランクを挟み、第10回の節目を迎えた。神戸市役所前をスタートしてひたすら西進、わが街・須磨を経て明石海峡大橋付近でようやく折り返し、ゴールは神戸大橋を渡ったポートアイランド。鉄道路線に当てはめればJRの三宮から舞子、11もの駅の間を往復したうえ、ポートライナーに乗り換える道のりに相当する。土地勘のある地元でマラソンが開催されるようになって、はじめて42.195キロという距離の長さを実感できるようになった。

コースのすぐそばにあった旧居では、部屋の窓からもレースの様子が垣間見えた。先頭集団が後半の国道2号線に差し掛かっても、北側に目を移せば、まだ大半のランナーは前半の途上を走っていた。色違いのゼッケンを付けた招待選手たちの圧倒的なハイペースを目の当たりにする一方、はるか後を行く市民ランナーたちも仮装したり歩いたりしながら思い思いのペースで進み、沿道を埋めたギャラリーからは別け隔てなく拍手が送られていた。選手権とは異なる市民参加型マラソンの雰囲気からひしひしと感じるのは、スポーツの優しさや奥行きの深さだ。

ただ乗り、ないしはぶら下がり社員。仕事の世界では、パフォーマンスの芳しくない人間には情け容赦の無い烙印が押されてしまう。そのまま高齢化した場合、働かないおじさんなどという呼び名に取って代わることもあるという。少なくとも就業し、雇用契約を結んでいる以上、ただ乗りではないし、皆それなりに働いているというのに。なぜ、私たちは仕事になると、参加者にすべからくハイペースで走ることを求めてしまうのだろう。頑張り次第で、誰もが色違いのゼッケンを掴み取れる―そんな幻想を追いかけて圧力が高まるほどに、市民ランナーが愉しくマイペースで走る余地は失われ、下位のランナーを称える風土は廃れていくのではないか。

今朝まで快晴だったのに、明日の予報はあいにくの雨。レースのピッチは少なからず落ち、完走できるランナーも減るかもしれない。現在の住まいはコースから離れていて、このご時世、沿道に並ぶのも自粛しようと思うが、ランナーには先頭から最後尾まで途切れない拍手を送りたい。私たちの日々は市民参加型マラソンで、主役は一握りの招待選手ではなく、大多数の市民ランナーのはずだ。

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