複雑かつ不安定 運動神経が悪いということ Vol.47
75歳の母は、近ごろYouTubeを頻繁に視聴するようになった。「テレビや新聞なんか、もう信用できへん」私が異動で忙しくなり、平日のアパート暮らしを始めた今年、一人で過ごす時間が長くなったせいだろうか。罪悪感にも似た想いに苛まれる。
同志のご近所さんからは、自宅のすぐ近くを通りかかることを聞きつけたらしい。「握手してもろたよ〜」沿道に詰めかけた県民に応えようと車を止めたその人は、ひとりひとりと手の届く距離で言葉を交わしたという。「もう、決めたわ」良くも悪くも、世間に流されにくいと思っていた母の心まで、鷲掴みにされてしまったらしい。
前知事の失職を受け、出直し選挙となった兵庫県知事選挙。当初は圧倒的に不利と目されたその前知事が、再選を果たした。YouTubeをはじめとするメディアの活用や、人心を掌握するパフォーマンスの才覚も功を奏したのだろう。われわれ母子の気持ちは最後まで合致しなかったのだが、再びのコンディション不安にあえぐ私には反論したり意見を戦わせる気力も無く、母にとっては望み通りの結果になった。入り乱れる情報に翻弄された私のほうが、時代から取り残されてしまったのかもしれない。
同じような「家庭内の分断」は、ほかにもあったと聞く。マスコミへの不信感も、頻繁に見聞きする傾向だ。しかしながら、テレビや新聞は信用できないのに、なぜYouTubeは信用できるのだろう。マスコミが信じられないとしても、前知事の不信任決議案の可決は兵庫県議会の総意なのだが、こちらもまた、信用されていないらしい。マスコミと議会に向けられた、二重の不信感。前知事の再選は、それらの反動に見えなくもない。
私たちの多くは、知事などの為政者・権力者について、その人となりや振る舞いを直々に知ることはできない。それらは、折々の情報や評判から推察するしかないのだが、その根源となるのがマスコミであり、議会であろう。不信任決議案が可決されたという事実は、知事と議会の関係が、控え目に言っても常ならざる緊張状態に陥っている証であり、たとえ真偽や善悪は判然としなくとも、その状況に対して私は不安を覚える。知事の能力や人柄が、支持派から伝えられる通りに優れているとしても、仕事の進め方やコミュニケーションの仕方に何かしら問題があったために、議会の不信任を招いたのではないか。そんな疑いも晴れない。
再選を支持した人びとの考えにも、頷ける点は少なくない。「おねだり」案件の強調など、一連のマスコミの報道には、問題を面白おかしく矮小化させ、より重要な論点から逸脱しているような印象も受けた。百条委員会での録音データなど、これまで広く報じられてこなかった情報にも信憑性を帯びたものがある。いったい、何を信じればよいのやら。私たちはいま、非常に複雑で不安定な時代を生きている。それだけは、間違いないのではないだろうか。