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折り返しの名古屋にて 運動神経が悪いということ Vol.29

青空のもと、眩しい緑の木々に囲まれた塔が屹立していた。名古屋から地下鉄東山線で20分あまり、16年ぶりに仰ぎ見た東山動植物園のスカイタワー。就職して初めての大型連休で訪れたとき、それは巨大な鉛筆のように見えたものだ。一泊旅行の二日目、社会人一年目の思い出をなぞってみることにした。

16年前も、初日は三河安城へお墓参りだった。前回が17回忌で、今回は33回忌。父方の祖母は、交差点を曲がる車にはねられた数日後、昏睡のうちに83歳で帰らぬ人となった。当時は小学校2年、ゴールデンウィークのさなかだった。祖母は晩年、長女の叔母の近所で暮らしていて、つくってもらったおかずを食べきれずゴミに出したのを咎められて以来、残した日は叔母に隠れて交差点を横断し、離れた場所にあるゴミステーションを利用していたらしい。事故に遭ったのは、そのゴミステーションへの道中だった。

没後、祖母の位牌は長男の叔父宅で祀られていたが、叔父に続いて義理の叔母も亡くなって、いまは寂れた寺に預けられていた。不慮の事故で命を奪われ、位牌になっても暗室に追いやられ。祖母は、どこまで愛に見放されているのだろうか。三男の叔父が見つけられずにいたところ、位牌が目にとまったのは私が向きを変えた瞬間だった。節目ごとの間遠なお参りしかできていないのに、「ここにいるよ」と声をかけてくれたかのようだった。

翌日の東山動植物園、互いに歳を重ねた私と母は16年前より頻繁に一休みしつつ、広大な敷地内をゆっくりと歩んだ。かつて、人間のような声で吠えていたフクロテナガザルは一匹しか見当たらず黙り込んでいたが、見頃を迎えたバラや菖蒲が晴天に映えていた。就職から16年、折り返しと位置づけている年に、スタートと同じ場所に戻って来られた。名古屋から新神戸まで、新幹線の所要時間はいまや1時間と少し。「あと16年たったら、もう歩かれへんわ」母は悲観するが、行きより帰りが早く感じる旅路のように、社会人生活の後半も前半より早く過ぎていくのだろうか。

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