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ジャニーズ性加害問題について 運動神経が悪いということ Vol.34

歳上の女性の同僚から、こんなことを言われた記憶がある。「あら、パンツ見えちゃった」高い所に手を伸ばし、シャツがズボンからはみ出た瞬間だった。その人はマイカー通勤していて、残業で二人きりになるたび「乗ってちょうだい」と繰り返し誘われた。暑がりの私は真冬でも汗ばむことがあり、「何で汗かいてるの?」と耳元で囁かれたときには、身の毛がよだつ心地だった。思い出すたび、一つの疑問が頭をもたげる。性別が逆なら、どうなっていたかということだ。例えば私が、歳下の女性に同じことをしていたら、ただ事で済んだのだろうか。

同じ人は、ジャニーズのファンでもある。同乗を拒んできたマイカーのCMキャラクターは木村拓哉で、Kis-My-Ft2にハマっていると聞かされたこともある。だから、というわけではないのだが、ジャニーズにはずっと前から嫌悪感に近い印象を抱いてきた。何組も出演する大型音楽番組は見る気が失せるし、いくらスポーツ観戦が趣味でも、新ユニットのデビューと抱き合わせにされているような競技には関心が無い。しかしながら、今般の騒動が漏れ伝わるにつれ、単にどうでもよい不祥事だと片付けるわけにもいかないことに気付かされた。

転機は、神戸新聞のコラム「正平調」を読んだことだ。性被害に遭ったのが少年ではなく少女であったなら、世間はもっと鋭敏に反応していたのではないかという旨の指摘は、前記の経験も相まって身につまされた。わが国ではセクハラといえば女性の被害しか連想されない向きがあるが、男性でも被害者にはなり得るのだ。先月以来、ジャニーズ事務所は前社長による性加害の事実をとうとう公に認めた。当然、個々の関わり方には濃淡があり、知り得た情報量も均等ではないだろう。それでも、その事実を認めたということは、永きにわたる組織的な罪の隠匿も、メディアや関係企業による黙認も事実だったと総括されることになる。性加害自体が重い問題だが、それに随伴する問題もまた重い。

華々しく見目麗しい人たちは、転んでも"悪者"にはなり切れないらしい。だから、会見の席で謝罪する側が問責する側を諌める言動がいかに的外れであろうとも、一部の喝采を呼んでしまう。見映えの良い男が、幸せと富をもたらしてくれる。そんな理想郷に目のくらんだ世間が臭いものに蓋をし、"金の成る木"の根を腐らせたまま肥大化させてしまったということか。今さら正論を振りかざす企業トップの白々しさ、われ先にと退所を表明するタレントのあざとさ。一連の動向からは、一つとして明るい希望が見当たらない。この世では善悪よりも利害が優先される、その実相をまざまざと見せつけられる想いだ。

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