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タイパの時代に 第3のリベロ Vol.20

息を吐いたり、手拍子を打ったり。手話とは、決して無音ではないことに気付かされた。本読みと、本番。同じ台詞なのに、感情を込めるかどうかで様変わりして聴こえる。カンヌでもアカデミーでも受賞の栄誉に浴した「ドライブ・マイ・カー」は、娘に続いて妻をも失った家福悠介が、同じく家族と死別した哀しみを抱える女性ドライバーの渡利みさきと次第に心を通わせていく。静かな感動に包んでくれた物語において重要な役割を果たしたのは、家福が不倫を見過ごすほど愛した妻の名でもある「音」だったように思う。

高嶺の花ばかり眺めてしまう性分で、木村文乃の出演作は漏れなく観ているが、これが最高傑作だと再確認した。2019年の末、前編の単発ドラマを観たのは私生活の離婚が明るみに出た直後だった。演じるのは夢半ばで失職したデザイナー、「人生に失敗しちゃった」と自虐する台詞もあって、ついドキュメンタリーを観ているような錯覚に陥った。「ちょこっと京都に住んでみた」が、待望の連ドラ化。全6話と思いのほか短かったものの、憧れの人と街が、実在するお店の人びととの交流を交えて共演する様は眼福だった。

若い世代には、映画もドラマも倍速再生で、ときにスキップボタンを押しながら視聴する人が増えているらしい。子供の頃から動画の視聴習慣が身についた人たちには、じっくり画面と向き合い、最初から最後まで耳目をはたらかせるのは煩わしい時間かもしれないが、倍速やスキップでは見逃してしまうこと、伝わらない魅力もあるはずだ。タイムパフォーマンスが重視される現代は、あらゆるカルチャーがファストフード化しているように感じられるのだが、かくいう私も、10代の頃はモスバーガーがいちばん美味しいと思っていた。若かりし時代のいちばんとは、きっと「途中経過」なのだろう。若い人たちにもいつか、端折らず、全てを噛み締めて味わう愉しみに目覚めてもらえたらと思う。

「負けてる人生って、誰かを勝たせてあげてる人生です。最高じゃないですか」そうだとしたら、わが人生だって最高かもしれない。坂元裕二が紡ぎ出す言葉には、思わず聴き直し、メモに残したくなるものが多々あるが、それらは放送中の「初恋の悪魔」にも散りばめられていて、例によって録画視聴の利点を実感できる。「普通という言葉に恐れを抱き、怯えてしまう人間は存在するんだ」「普通の人とか特別な人とか、平凡とか異常とか、そんなの無いと思うよ。ただ、誰かと出会ったときにそれが変わるんだよ。平凡な人を平凡だと思わない人が現れる。異常な人を異常だと思わない人が現れる。それが人と人との出会いの、良い、美しいところなんじゃないの?」倍速モードだったら、スキップしていれば、こんなメッセージが心に残ることも無かっただろう。人びとが日常をゆっくりと過ごせなくなった、そんな時流に抗うような作品は、気高くて尊い。

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