【ファッションで時代を切り開いた人物たち③】川久保玲
飯田亜美です。
本日は日本を代表するコレクションブランド、
COMME des GARCONS(コムデギャルソン)の
デザイナーである川久保玲について。
コロナ禍の中、実に50年ぶりにテレビに出演。
正直なところテレビに出演したのが衝撃的でした。
プロフィール
1942年東京生まれ。
慶應義塾大学文学部哲学科卒業で、
ファッションの正規教育を受けていない。
卒業後は旭化成に入社し、
繊維宣伝部でスタイリストを経験。
その後フリーランスの活動を経て「コム デ ギャルソン」の
婦人服の製造と販売をスタート。
1973年に株式会社コム デ ギャルソンを設立、
レディースウェアの製造販売を開始。
ブランド名の由来はフランス語で「少年のように」
1975年に東京コレクション初参加。
初のショーは原宿・パレフランスで行われた。
同年、表参道のフロムファーストに直営店である青山店をオープン。
1978年にメンズラインである
「コム デ ギャルソン・オム(COMME des GARÇONS HOMME)」
をスタートさせる。
日本で成功をおさめると
山本耀司(ヨウジヤマモト)とパリに渡り
81年にパリ プレタポルテ・コレクションにデビュー。
初のパリでの展示会とミニショーを行った。
それ以来、パリを中心にコレクションを展開している。
パリでの最初のコレクションはセンセーショナルで、
賛否両論がまきおこった。
華やかなデザインが主流だった当時に、
穴の開いたセーターやそれまでモードの世界で禁欲的な色として
敬遠されていた黒を用いたファッションを発表したことで、
服飾の既成概念を崩したアバンギャルドで斬新な表現手法は
「広島シック」「黒の衝撃」と言われ批判を受けたが、
アバンギャルドかつクラッシックなスタイルは
徐々にクリエイティブな若手デザイナーから受け入れられていった。
こうしてヨウジヤマモトとともに「ボロルック」
と呼ばれる黒を主体とした独特のファッションで、
独自の世界を作り上げていった。
https://www.fashion-press.net/brands/22 より
川久保玲さんは世界で活躍している日本人のうちの一人で、
尊敬しているデザイナーです。
時代の流れに対し、自身のスタイルを打ち出していく。
賛否両論があるところから、理念を持って
創り出すことで世に受け入れられていく。
株式会社LIFE DESIGN 飯田亜美
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