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意味づけとBGMで散歩を克服している

あなたは運動習慣をお持ちだろうか。
筋トレ、スポーツ、散歩、通勤、通学、家事…

在宅デスクワーカーのwたしは、意識しなければ万年運動不足となる。ただでさえミニマムな筋量・HPしか持ち合わせておらず、便秘と腰痛に悩まされているというのに。
日陰のもやしならまだしも、もはやトイレットペーパーのごとく溶けて消えてしまうのではないかと思う。

…余談だが中学生のころ、親友からリアルに「あんたって紙みたいだね」と言われたことがある。なお彼女とは今でも親友である。


12月はかろうじて数回足を運んだジムも、1月は仕事のスケジュールを見てすっぱり諦め、お布施だけを払ってジムの売上に貢献した。
その代わりに、散歩を始めた。

1月のような過密スケジュールだととくに、脳の疲労と体の疲労のバランスがとてつもなく悪くなる。
まるで鉄球と羽毛が乗った天秤のように。

したがって、眠りの質が悪くなる。
いや眠たいのに眠れず、深酒してしまうかふとんでプライムビデオを再生して朝方ようやく眠りに落ちるか、どちらかだ。
どちらにしても、よくない。

眠れていないから集中できない。
仕事が進まない。
徹夜に近い形で働く。
でも眠れない。
負のループである。


ところがわたしは「歩く」という行為が嫌いである。
徒歩=移動であって、目的地のない徒歩は単なる時間の浪費にしか感じられない。
仕方がないからひとつ遠いコンビニでコーヒーを買って、飲みながら帰ってくるとか、スーパーでちょこっと買いものしてくるとか、なんとか目的地をつくって歩いている。

これでもだいぶマシになったほうで、数年前までは雨の日でもカッパ着て自転車で移動していたぐらいである。だって早く着きたいから。
傘をさして歩いたって靴はぐじゃぐじゃになる。どうせ濡れるなら早く着いたほうがよい。


徒歩はあくまで移動手段であり、移動手段のなかではもっとも速度が遅く、非効率だから嫌だった。
しかし今のわたしにとって徒歩は移動手段であり、運動の手段でもある。

そう思ってすこしは前向きに取り組めるようにはなったが、やはりおもしろくない。

歩いたって、なにもないのだ。
せめて緑が豊かだとか、海が見えるとか、川が流れているとか、商店街や飲食店が立ち並んでいるとか、なにかしらあればよいのだが、この街にはまじでなにもない。

いやこの街の悪口を言いたいわけではないのだが、あるものといえば国道ぐらいで。
川も流れてはいるがベンチもなければ雑草も伸び放題で、冬は寂寥感しかないし、夏はブンブン虫が飛んでいて、いつかどなたかに刺される気しかしない。


なんとかならんものかと考えて、BGMのお出ましである。
散歩のBGMは「ラスボス降臨」風のダークで荘厳なクラシックメドレーだ。

さっきあれだけ「この街はつまらない」とコケにしたような発言をしたが、車は通っても人っ子ひとり歩いていないところが逆にちょうどよい。

人類を滅亡させ、この世界を掌握した全知全能のラスボスになった気分で闊歩している。(でも行き先はコンビニ)


…仕事でも家事でもなんでも、自分にとっての意味が変わると取り組みやすくなる。

たとえば家事。
わたしにとっては「なぜ自分だけがしなければいけないのか納得がいかず、どれだけこなしてもゴミもホコリも洗濯物も汚れたお皿もまた溜まっていく理不尽極まりないラットレース」だった。
生活するために舌打ちしながら渋々取り組む、めちゃくちゃ嫌なこと。

その家事も最近はエキサイティングな休憩時間となりつつある。
それはBGMのおかげだ。
集中力が切れてきたら運動会のBGMメドレーを押して、よーいどん。

サボりながらダラダラ取り組むのではなく、テキパキと動ける。昨日なんかは汗ばんだぐらいだ。

嫌なことでも、意味を変えれば取り組み方を変えられる。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたにとって嫌なこと、どんな意味に変えますか?

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