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灰原哀が灰原哀への執着を受け入れたとき/『名探偵コナン黒鉄の魚影』※ネタバレあり

観てきました!!!
公開直後は人が絶対多いだろうなと思って、あえて期間を少し空けてから観に行きましたがそれでも人が多かった。めっちゃ多かった。
感想をつらつら書いていきたいと思いますがガンガンネタバレしていくのでご留意ください。

哀ちゃん…!哀ちゃん…!!幸せになって…!!!
観終わったあとはもうこれに尽きました。
灰原哀ちゃんが劇場版コナンのメインになるのは2001年の『天国へのカウントダウン』以来で、満を持して、という感じだったのですが、そのときからの哀ちゃんの変化に想いを馳せると泣けて泣けてしょうがなかった。

コナン(工藤新一)への想い

私はこれまで哀ちゃんからコナン(工藤新一)への想いに恋愛感情が含まれるのか、はたまた違う感情なのかが判断できなかったし、どちらとも取れる解釈をしていたのですが今回の映画ではっきりと恋愛的な感情なんだなと受け取りました。
こうなってくると哀ちゃんはその想いを今後どう抱えていきていくのかと考えながら観ていたのですが最後の最後で蘭ちゃんへ哀ちゃんがキスを返したことによって、自分のなかでは結論が出ました。
それは哀ちゃんは「毛利蘭のことが地球上の誰よりも好きなコナン(工藤新一)が好き」なんだということ。
コナン(工藤新一)の行動原理や黒の組織に対して正体を見破られまいとする決意のもとは全部毛利蘭ちゃんなんですよね…。コナン(工藤新一)を探偵たらしめるものが毛利蘭であると言っても過言ではないというか…。
さらに哀ちゃんは蘭ちゃんのことを黒の組織に殺された自分のお姉さんに重ね合わせてるところがあるんですよね。あの優しくて明るいところとかを自分の姉である宮野明美と重ねている。
だからきっと哀ちゃんは蘭ちゃんに幸せであってほしいと願っていると私は思っています。
毛利蘭のことが好きなコナン(工藤新一)が好きで、毛利蘭には幸せになってほしい。そうなると自分がコナン(工藤新一)とどうこうなりたいという気持ちにはなれない。だからこそあのラストのシーンになったのかな~、そうなんじゃないかな~。

コナン(工藤新一)が哀ちゃんを守る理由

コナン(工藤新一)がなぜあそこまで哀ちゃんを守ろうとするのかというと、きっと彼のなかでは哀ちゃんは良き相棒だからなんでしょうな。劇場版でも哀ちゃんはよくコナン(工藤新一)にこき使われるというか、やれ画像解析だの検出された薬物の特定だの…。スマホで写真を送って「頼むぜ!」で終わりですからね!マジで枚挙にいとまがない。哀ちゃんはキレてもいいレベル。
でも同じ黒の組織から身を隠しながらも、度々起こる事件を協力して解決する。恋愛とは違う立ち位置で哀ちゃんもコナン(工藤新一)にとって明確に大切な人なんだよなあ。だからあそこまで必死になって守ろうとした。

阿笠博士と哀ちゃん

もう阿笠博士と哀ちゃんは家族ですよね…。阿笠博士は結婚していないし結婚の経験もない。そして哀ちゃんは宮野志保としてもまだ18歳という年齢。灰原哀としては小学1年生で7歳。
阿笠博士があそこまで憤るところを観たことがなかったので、哀ちゃんを奪還すべくビートルを爆走させるところめちゃくちゃかっこよかった…。
阿笠博士にとって哀ちゃんはとても大切な存在で、これは家族と言ってもいいんじゃないかと思う。
大切なのは血の繋がりとかじゃなくて、信頼や尊重をできるかどうか。血の繋がりによらない家族のかたちは私はとても好きです。血の繋がりを重視し、やたらと大きな期待を持つ人が多い人たちを観測して辟易としているので…。家族のかたちはもっといろんなものがあっていいと思っています。
そういう家族のかたちをコナンで見せてもらってうれしかった。

結局のところ

今回は哀ちゃんが自分自身に起きた変化を受容する話だったんじゃないかなーと私は思うのです。
前回哀ちゃんがメインだった『天国へのカウントダウン』では哀ちゃんは『灰原哀』として生きていくことに執着がなかったと思うんですよね。
あくまでも『灰原哀』は『宮野志保』の仮の姿であって、黒の組織に姿がバレて死ぬかもしれない、『灰原哀』としての人生はすぐ用無しになるかもしれないという意識があったように思えるし、仮の姿だから『灰原哀』として生きたとしても、『宮野志保』としての生活を取り戻せば『灰原哀』はなかったことになるし、生きていたところで…のような諦観を背負っていたような気がする。
だからこそ『天国へのカウントダウン』では自分の居場所がないといった発言をしたし、自分が死ぬとしても爆弾のカウントダウンを正確に行って、少年探偵団を脱出させることを優先させようとした。
海中からコナン(工藤新一)と一緒に脱出するときも、もっと前の哀ちゃんなら自分の姿を消すことに対してもっと本気だったように思えて、コナン(工藤新一)の表情で思いとどまってしまうのも、きっともっと『灰原哀』として生きていきていきたいと思えたからなのでは…。
あそこでコナン(工藤新一)との別離=今の生活(灰原哀)との別離になるんですよ。
『灰原哀』として阿笠博士と生活したり、少年探偵団と過ごしたりすることできっと『灰原哀』に深い思い入れが生まれてしまっていて、その自分のなかに生まれた『灰原哀』への執着という変化を哀ちゃん自身が受け入れることが今作だったのかなあと思いました。
コナン(工藤新一)も阿笠博士も蘭ちゃんも哀ちゃんのことが大切で、少年探偵団も哀ちゃんが大好きでそんな風に哀ちゃんを想ってくれる人たちがいることに泣いてしまうよ~!
哀ちゃんが変わった、というより哀ちゃんが変わったことを受容して『灰原哀』として生きていく覚悟をするような話だったなと思うのです。

ちなみに『天国へのカウントダウン』はアマプラやHuluで観られますよ!

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B06Y1N37RH/ref=atv_dp_share_cu_r


※ちょっとした不満
話自体はおもしろかったし、哀ちゃんへの思いがノンストップなのですがそれはそれとしてもうちょっと少年探偵団出してくれてもよくない!?もっと活躍の場をくれてもよくない!?!?
宮野志保の仮初の姿である灰原哀ちゃんを慕って、愛して、そばにいてくれたのはあの子たちじゃん!?!?尺的に難しかったのはわかる、わかるけどさ~~~!
たしかに何も知らない小学生を(本来であれば高校生である新一や蘭ちゃんも)事件に巻き込んでいくのは難しいかもしれないけれど、もうちょっと少年探偵団としての哀ちゃんを観たかった~
シンプルに少年探偵団があまり観られなくて寂しかったよ!

※ひそひそ話
(コナン映画は毎年観ていてコンテンツとしてもすごい好きだし、楽しいことには変わらないのだけどやっぱり青山剛昌先生の異性愛規範とロマンチックラブ・イデオロギーが強めなところとか女性観とかはもうちょっと何とか…と思ってしまう。大御所さんになってしまって周囲も言いづらいのかもしれんけど。うーーーーん。そのへんは気が合わないけど、コナンに出てくるキャラに愛着があるのはたしかなんだよな。そういうのを自覚できただけでもいいかもしれん)


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