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生きる理由も価値もなくたって、いいじゃないか。

眠れない夜に決まって心を苦しめるのは、”自分の生きる価値とは?” ”自分の生きる理由とは?” という問いたち。

これは今に始まった事ではないけれど、こんなのいくら考えたって導き出せる答えは、”そんなものはない”でしかなかった。

きっと自分が自分でいることをやめたとしても、世界はそんなこと気にも留めず進んでいくんだろうし、周りの人たちの悲しみも必ず薄れて癒える。そんなことなら、自分が自分でいることなんてさっさとやめて、一人暗闇に浮かべたらどんなにラクだろうか、と考えずにはいられなくなる時がある。

きっと、こんな夜とは全く無縁で、こんなことを考えてるのは馬鹿だけだと思えるような、そんな世界に住んでる人もたくさんいるんだと思う。

でも、やっぱり自分は自分以外にはなれなくて、それを否定せずにはいられない弱さを持っているのが自分。それでも、そんな自分でいることも悪くないじゃん、と思えるのもまた自分。自分が自分自身の一番の敵であり、味方でもある、そんな人間なのだ。

ちょっと前までは、自分には生きる価値があって、生きる理由があるんだと思いたかった。自分にはそれがちゃんとあるんだと信じたかった。でも、いくら探してもそんな大層なものは見つけられなかったし、あるとも思えなかった。

だったら、そんなもの最初から無いものとして生きた方がラクなんじゃないか、と思うようになった。自分には、あるのかないのか分からないようなものを探し続けられるほどの強さはないし、苦しさが勝ってしまうのは目に見えている。

実際、生きる価値も理由も、何にもなくたって生ある者は生きているし、生きていける。きっと世界はもっとシンプルで、”自分が自分でいること”こそが唯一自分にできることであり、それを全肯定するかどうか、ってことなんだと思う。

まさにニーチェだね、ツァラトゥストラだね。

まずは、こんな夜から肯定するのを始めてみよう。


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眠れない夜に

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