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種差、差異特性、差異〈アリストテレス『カテゴリー論』第3章〉

今回は僕がアリストテレスの概念の中で一番注目している「種差(差異特性)」の概念を紹介する。ではまず本文を引用しよう。3章は短いので全文を二回に分けて引用する。

一方のものが他方のものについて、それを基に措定されたものとして述定される場合には、その述定されるものについて語られる全ての事柄が、さらに、その基に措定されたものについても語られることになる。たとえば、特定のある人間について人間が述定され、また、人間について動物が述定される。すると、特定のある人間についても動物が述定されることになる。実際、特定のある人間は、人間であるとともに動物である。(1b10-15)

この箇所については多くを補う必要はないと思う。「ソクラテス」は「人間」の基に措定されたもので、「ソクラテスは人間である」とできる。また、「人間は動物である」ため、「人間」を媒介して「ソクラテスは動物である」とできる、というただそれだけのことだ。しかし、この後の読解で重要になるのが、この概念の系列(動物-人間-ソクラテス)において、「人間」が主語(S)でも述語(P)でもあり得るのに対して、「ソクラテス」は主語(S)、「動物」は述語(P)でしかあり得ないということだ。これを押さえた上で次に行く。

帰属する類が異なり、また類の相互の間で従属の関係にはないという場合は、その類の内部の相違を示す差異特性も、帰属する種に応じて異なる。動物と知識という類がその一例となるだろう。すなわち動物という類を分ける差異特性となるのは、「陸棲」、「有翼」、「水棲」、「二足」などである。これらのいずれも、知識という類を分ける差異特性ではない。なぜなら、ある知識が別の知識と相違するのは、「二足である」ということによってではないからである。

しかし帰属する類の相互の間で従属関係が成立するときには、そこに同一の差異特性が存在しても差し支えない。なぜなら、より上位の類がそれに下属する類について述定され、その結果述定された上位の類の差異特性は全て、その基に措定されたものの差異特性となるからである。(1b15-25)

まず、類と種の概念から説明する。
類と種とは、たとえば、動物の類なら人間の種や馬の種などが属し、知識の類なら読み書きの知識や家造りの知識などが属する、といった関係にある二項のことだ。

類は互いに異なる種それぞれに分割され、また、分割されたそれらの種の全てを再度組み合わせればそれ自身に戻ることができる。

種はこうした類の内で、自分以外の他種と並列的、同時的に存在し、種それぞれに固有のアイデンティティがある。このアイデンティティによって、種は自分以外の他種と相違することができる。逆に言えば、こうしたアイデンティティがなければ、その種は他種との区別もつかず、自分を自分として成立させることもできない。

また、類と種は固定的なものではなく相対的なものでしかない。例えば上の例では、動物は人間の種に対して類に相当したが、それに比べてより上位の生物という類に対しては、植物や細菌と並列的同時的な一種に過ぎない。

次に、鍵概念である差異特性ついてだ。
差異特性とは、類の内をそれぞれの種に分けるきっかけとなる属性だ。具体例で示そう。動物には陸棲のものとそうでないものがいて、人間や馬は陸棲のものの方に属し、鯉や鯨は水棲だからそうでないものの方に属する。これは、人間、馬、鯉、鯨、これらは全て動物の一種で、動物であるという点で四種は同じだが、陸棲であるという点では、人間と馬は鯉と鯨と相違する、ということだ。このとき「陸棲である」ことは動物(という類の内)の差異特性、つまり種差と言える。では、「哺乳類である」ことはどうか。人間、馬、鯉、鯨の内、哺乳類であるのは、人間、馬、鯨の三種だ。よって、動物であるという点で四種は同じだが、哺乳類であるという点で人間、馬、鯨の三種は鯉と相違する、と言える。そして、哺乳類であることも、陸棲であることと同様に、動物の差異特性つまり種差と言える。

このように、差異特性(種差)はさほど難しい概念ではないと思う。しかし、ここから難度は上がる。アリストテレス自身も混同してる箇所を引いてみよう。

より上位の類がそれに下属する類について述定され、その結果述定された上位の類の差異特性は全て、その基に措定されたものの差異特性となる[…]。

この一節において、アリストテレスは何を何と混同しているのか。それは、差異特性(種差)の言葉遣いにある。普通、差異特性(種差)とは、「〜の差異特性(種差)」と言われる。さっきの例で言えば、陸棲であることや哺乳類であることは「動物の差異特性(種差)」である、といった仕方で差異特性(種差)は語られるということだ。この場合、差異特性といういびつな音で言うよりも、種差という耳馴染みの音で、この概念を表現した方がしっくりくると思う。

しかし、ここで疑問に思いたいのは、なぜ種差とは言わず差異特性と言うのか?、ということだ。読解の上手な人は、種差という言葉では曖昧にされてしまうが、差異特性という言葉では判明になる何かがあるはず、と勘ぐると思う。(ちなみに僕は、答えを知ってるからこのような物言いができるのであって、初見でこの一節のアリストテレスの混同に気づいたわけではない。つまり後出しジャンケンなのだ。)まさにその通りで、アリストテレスは種差と差異特性とを混同したのだ。この二つの違いを見ていこう。

先程確認した通り、哺乳類であることや陸棲であることは「動物の種差(差異特性)」であると言える。ここで注意したいのが、種差(差異特性)も一つの属性に過ぎない、ということだ。
属性には持ち主がいる。陸棲であるという属性の持ち主には人間や馬などが挙げられ、哺乳類であるという属性の持ち主には人間や馬や鯨が挙げられる。
そして、その属性Pとその持ち主Sの関係を表現するのに、「PということはSの属性である」という形をとるはずだ。たとえば、陸棲であることは人間の属性である、といった具合に。

ここで不思議なのが、種差(差異特性)も属性の一つで、必ずしも動物の全種が、その種差(差異特性)=属性を持つわけでもないのに、たとえば、陸棲であることは動物の種差(差異特性)すなわち動物の属性である、などと表現されてしまうことだ。陸棲であることが動物の属性ならば、陸棲の属性をもたない鯉は動物ではないのか?

全ての動物が上の二属性をもつわけでもないのに、この二属性が「動物の差異特性(種差)=属性」である、と表現されてしまう。普通、「SのP」と言うとき、PはSの持ち主である、ということを意味するはずだ。上の例で言えば、馬は陸棲であるから、陸棲であることは馬の属性だ。

今までの議論を整理しよう。

1.
類には種差がある。

1-1.
種差は「類の種差」という形で表現できる。


2.
種差は属性の一つである。

2-1.
属性には持ち主(となる種)がいる。

2-1-1.
2-1.は「持ち主の属性」という形で表現できる。


3-1.
2.より「類の種差」は「類の属性」と換言できる。

3-2.
2-1-1.より「類の属性」という表現は、その類がその属性の持ち主であることを意味する。

3-2-1.
その類内の全種がその属性を持つわけではない(その類内の一部の種しかその属性を持たない)ため、3-2.は誤り。

というふうに矛盾が生じるわけだ。
この矛盾がアリストテレスの一節にも表れている。

より上位の類がそれに下属する類について述定され、その結果述定された上位の類の差異特性は全て、その基に措定されたものの差異特性となる[…]。

ということだが、これをさっきの具体例に当てはめると、より上位の類とは動物、それに下属する類が人間、馬、鯉、魚だ。(先述の通り、類と種は固定的ではなく相対的な関係を指すから、類と種を代わりに上位類と類で表現しても事態は変わらない。)そして、上位の類の差異特性つまり種差は、陸棲であることや哺乳類であることだった。これを、例えば、陸棲であることは動物の差異特性(種差)である、哺乳類であることは動物の差異特性(種差)であると表現したのだった。

ではこの例のもと、本文を言い換えると、動物が鯉に述定され(「鯉は動物である」と言えて)、その結果動物の種差(差異特性)である「陸棲である」ことや「哺乳類である」ことが全て、その基に措定されたもの例えば鯉(「鯉は動物の基に措定されたものである」と表現されるのだった。ref.第2章-2)の種差(差異特性)となる、とアリストテレスは言っていることになる。種差(差異特性)は属性の一つだから、「陸棲である」ことや「哺乳類である」ことが、鯉の属性である、と言っているということだ。これは明らかに誤りだ。

今度は、種差と差異特性を使い分けて本文をいじってみる。こうすれば、もっとアリストテレスの混同がわかりやすくなるはずだ。重要語は《》で括る。

類がそれに下属する種について述定され、その結果述定された類の《種差としての属性》は全て、その種の《差異特性としての属性》となる[…]。

もう分かったと思う。アリストテレスは「動物の種差(としての属性)」と「動物の差異特性(としての属性)」を混同してるのだ。だから、上の文の種に鯉を代入するとき、文は正しくない。(種に人間、馬を代入するときだけ正しい。)

哺乳類であることや陸棲であることは、動物の《種差としての属性》であるから、鯉や鯨などの一部の動物には該当しない属性だ。
そして、哺乳類であることや陸棲であることは、人間と馬の《差異特性としての属性》で、これは、人間と馬が鯉や鯨と相違するのに必要な、すなわち人間、馬と鯉、鯨の間に差異をもたらす属性、謂わば、人間と馬に共通のアイデンティティだ。人間と馬のアイデンティティであって、動物のアイデンティティではない、鯉や鯨といった一部の動物はこうしたアイデンティティを持たないからだ。このようなアイデンティティをアリストテレスは、「差異特性」、「ディアフォラδιαφορα」と呼び、今日の英語「ディファーdiffer」の語幹となっている。日本語では「種差」と誤訳されていたため、差異の原義的な意味合いが見過ごされがちだが、「差異特性」という新名称のもと、旧称との区別を通じて確り理解したいところだ。

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