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「問答法的」とは〈アリストテレス『トポス論』岩波新版 第一巻 40-46頁 読書録5〉

「問答法的」と呼ばれるものに、命題と問題がある。では命題と問題について、どんなときどんなものが「問答法的」であり、またそうでないのか考える。

1.問答法的命題

まず、問答法的命題とは呼べないものから示し、問答法的命題と呼べるものの輪郭を示す。
必ずしも全ての命題が「問答法的」であるわけではない。なぜなら、一般的な考え(エンドクサ、通念)に反することのない自明なもの(ex.「カラスは黒いものである」カラスと黒いものは同じ)と、また一般的な考えに反しその説得的な根拠を示せないもの(ex.「源義経はナポレオンの母である」源義経とナポレオンの母は同じ)は、命題ではあっても問答法的命題ではないから。

次に、問答法的命題と呼べるものを積極的に示す。
問答法的命題とは「全ての人に、或いは大多数の人にそうだと思われているか、或いは知者たちにそう思われているか、そして知者たちに思われている場合には、全ての知者か、大多数の知者か、最も著名な知者たちにそうだと思われている内容の問いかけ」であり、かつ「通念(一般的な考え、エンドクサ)に反しないもの※」である。
「通念に反しないもの」=一般的な考え(エンドクサ)であることは、それが問答法的命題であるための必要条件。

※これとは逆に、命題には通念に反し一般人の常識とは乖離するが、学者の間ではすでに説得的な説明の得られているものがあり、そうしたものは一般人にも懇切丁寧に説明すれば理解される、つまり知的に正しい通念に変わる可能性があるので、追々「通念に反しないもの」になり得る。したがって、一見「通念に反するもの」でも「通念に反しないもの」になる余地があるので、「通念に反するもの」だからといって、それが問答法的な命題であることを安易に否定できない点に注意。

一般的な考え(エンドクサ、通念)から、さらに一般的な考えを派生させる論理学的な(反対と否定を利用した)操作

i.一般的な考え(エンドクサ)と似たものやそう思われていることの反対を否定の形で提出したものは一般的な考えとして現れる

ex.
知識と感覚(※)が反対の関係にあり、「同じ知識は反対のものを対象とする」が一般的な考えとすれば、「同じ感覚は反対のものを対象とする」も一般的な考えのように現れる。例で示すと、医術は健康と病気についての知識、触覚が寒と暖についての感覚であり、いずれも僕たち一般人の肌感覚で理解でき、通念(一般的な考え)として認められる。

※知識と感覚は、対象(知ることに対する知られるもの、感覚することに対する感覚されるもの)をもつという点で、またその各々の対象がそれ自身と反対の関係にあるものをもつという点でも共通する。例えば、論理的であることを知ることは、同時(離接的)に論理的でないことや非論理的であることを知ることであり、また明るさを感覚できることは、同時(相対的)に暗さを感覚できることを示す。

ii.一般的な考え(エンドクサ)に反対のことも、否定の形で命題として提出されていれば、一般的な考えとして現れる。

ex.
「友によくすべきである」が一般的な考えであるなら、「友に悪くすべきでない」というのも一般的な考えとなる。なぜなら、「友によくすべきである」の反対(※述語に注目)は「友に悪くすべきである」で、これの反対は「友に悪くすべきでない」だから。
同様に「敵によくすべきでない」というのも一般的な考えとなる。なぜなら、「友によくすべきである」の反対(※主語に注目)は「敵によくすべきである」で、これの否定は「敵によくすべきでない」だから。

2.問答法的問題

問答法的命題とは、「何かを選択したり忌避したりするために役立つ考察課題(→行為や実践的な知に関わる)」であるか、「真理と知の獲得のために役立つ考察課題(→観想的な知に関わる)」である。

殆どの事柄に対して、我々はそれ自体知りたいと思うことはなく、多くの場合、別のものを目的として、それを通じて何か他のものを知るために、我々は知りたいと思う。海外留学時、英語のリスニングができないと現地の大学の講義が聴けないから、英語のリスニングを勉強する場合、この勉強は講義の聴講を目的としている。

ex.
「快楽は望ましいものか否か」という問題は選択と忌避に役立ち、「宇宙は永遠か否か」という問題はただ知ることだけに役立つ。

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