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編み物と心理学

長く編み物と親しんできた私は、
編み物と心理学に親和性を感じている。

今となっては、ニットセラピーなんて、
よく聞くワードとなっているけれど、
具体的にどゆこと??って質問に、
説明してくれる人は少ない印象がある。

私なりの解釈で、実感している見解を、
ここに書いてみようと思う。

私の編み物歴といえば、
きっかけは、よく覚えていないのだけれど
たぶん10歳頃に母に教えてもらったのが始まり。

ある時は、あみぐるみ作りにハマり、
ある時は、バッグ作りにハマり、
ある時は、小物作りにハマり、
全く編み針を触る事もない期間もちょこちょこあり、
今は、セーター作りにハマっている。
技術面では、全くの自己流。

一時はちゃんと資格を取って、
先生になろうかと習った時期もあった。
が、挫折。。。

 面白くない。

正式な工程、正確な仕上がり、
それは、とても美しいのかもしれない。
でも、
私が求める”理想の編み物の世界”ではなかった。

少し落ち込んだけれど、
編み物は趣味でいいや、と方向は定まった。

その後、
ネウロンタとして、細々と作家活動をしている。

一方、
カウンセリングや心理学との出会いは、2018年。
コロナ騒ぎが起こる一年程前。

色々と、うまくいかない事が重なり、
心理学に興味を持った。
セルフカウンセリングが出来るようになれば、
お金をかけなくても良いじゃんと考えたのです。
(浅はかですね〜)

色々と調べているうちに、
現在、所属しているNPO法人に辿り着きました。

心理学を習いはじめて、まだ6年程度。
(2024年現在)
まだまだ理解は浅いと言える。
それでも、
人生49年の自分の心の動きを経験はしている。

自分の心の歴史と、心理学の学びとを、
照らし合わせて、腑に落ちる感覚は何度もあった。

そこで、
人生の長い期間を細々とでも、
共にしてきた編み物が、
私の心に、実は大きく影響しているのではないか、
という仮説に行きつくこととなる。

私の編み物は、知らず知らずのうちに、
主体的なものになっていました。

最初は、本の通りそのままに。
徐々にアレンジするようになり。
今では、全く本を見ない。
手帖に、好き勝手に図にしたり、
数字を書き出したり、
工程を箇条書きしたりして、
好き勝手に編む。
これは、心理学で学んだところの
[主体的活動]だったのです。
自分で決めて、実行し、その結果に責任をもつ。

心が不健康なとき、
主体的にはなれない。
誰かに決めて欲しい、それは、誰かのせいにする為。

私の心も、主体的になりきれてなかった。
心理学を学び、私の編み物のやり方が、
まさしくそうである事に気付かされる事になり、
心の健康を取り戻す助けになった。

エリック・バーンの交流分析の理論に、
「I am OK. You are OK. 」という表現がある。
私のこともあなたのことも肯定する姿勢のこと。

主体的な編み物を続けてきた事で、
失敗する事も、成功する事も、
拒否したい感情も、味わいたい感情も、
小さな自分の手の中だけの世界だけど、
いろんなモノが出来上がる。
その作業はまさしく、
自分にどんな結果でもOKを出せるようになり、
同じように他者(たとえば家族)の結果にもOKと言えるようになった。
(まだ発展途上な部分はもちろんあるけれど)

また、
カウンセラーの資格を取り、
カウンセリングの実践にも取り組む機会を
頂いている中で、
必ず必要になるのが、振り返る作業。

主体的な編み物をしていたお陰で、
自分のカウンセリングについて振り返る事が、
仕上がった編み物について、
あーでもない、こーでもない、と、
自分のあれこれを振り返る作業とどこか似ていた。
それは、すなわち、
セルフカウンセリングの時間となる。

“無心に編む”ことが、
自分と向き合う”無意識の意識化”につながり、
自分の”内的世界”の理解につながる。

心と体をつなげるような作業であるといえる。

心をごまかして向き合わずにいると、
心と体は離れてしまい、症状となって現れたりする。

私にとって、編み物がそうであったように、
みなさんにとっても、編み物が、
そのお手伝いになりますように。

もし編み物でなくても、
これを読みながら、ご自分の続けてきた事で、
似たようなモノを感じてもらえたら幸いです。

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