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東寺金堂の薬師如来さまに睨まれた件

三月一日から三週間あまりにわたった今回の一時帰国から帰宅して四日目の今日(三月二十七日現在)も、旅の記憶の消化が未だ出来ません。沖縄、東京、埼玉の実家、京阪、そして東京と、それぞれの記憶と印象が混じり合って整理ができないからです。そのカオスの中心にあって、わたしに強く呼びかける声があって、それは何か旅の記憶の整理に決定的な役割をもっていると思えるのですが、しかしそれは一種の神秘体験なので、いったいそれが何なのか気にかかり、それで整理がつかないようなのです。

その体験とは70歳の誕生日当日に、大阪から日帰りで訪ねた京都の最終ポイント、東寺で起こりました。閉館間際の時間で慌ただしく参拝した法堂と金堂でした。その金堂の薬師如来さまがわたしを睨みつけたのです。ちょうど日光菩薩さまに手をあわせていた時、ふとその左側からの視線に気づいて見上げると薬師如来さまの左目がわたしをずっと見つめておられたのです。

金堂に入ったさいまず参拝した如来様ですが、わたしが去り難くしていたのを、憐れむのでもなし、冷たくもあたたかくもない視線で釘付けにしました。わたしはそれが何なのか理解できませんでした。覚醒せよ、発心せよ、とのお導きなのか?あるいは十年近くにおよぶ心臓病についてのお諭しなのか、まったくわかりません。

ただその体験がこの旅を思い出すたびに浮かび上がってきて思念の中心を占めてしまいそれ以上思いを進めることができません。

そこは撮影禁止なのでネットで探した画を見ましたが、如来さまのお目は普通です。左側だけがどうこうということはないでしょう。しかしわたしにとっては何か極めて重要な事柄がそこで囁かれている気がしてならないのです。

その時の堂内の光は向かって左側すなわち西側から入っていました。その光が金色の如来さまに映ってわたしに語っておられたようでした。しかしそこにずっといるわけにもゆかず、また時間をかければ理解がすすむということでもなさそうなので、わたしは如来さまの声なきお声の印象だけを持ち帰ることにしたのです。

密教では仏様は密語すなわち仏様の言葉で語られるとか、ゆえに密教とよばれるとか。如来さまのお言葉はいわば圧縮ZIPファイルとしてダウンロードされたようで、それをこれから解凍開封して解読せよとの思し召しだったようです。

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