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旧東ベルリンの記憶の欠片

わたしは北京で乗車した国際列車に5日間ゆられモスクワに着き、そこでパリ行に乗り換えさらに2日後ベルリンに到着した。

パリ行列車なのでそのまま西ベルリンの当時の中央駅だった動物園駅まで行ってしまえばよかったのだが、東側最後の駅、いわば東西ベルリン国境のフリードリッヒ・シュトラーセ駅で下車してしまった。

現在のフリードリッヒ・シュトラーセ駅

車内での西ドイツへの出国手続きというか検査は厳重で、密出国者がいないかどうか座席の上下隅々まで軍用犬を用いたチェックがおこなわれた。だからかなりの時間を要した。

迎えに来ていたその後妻になった彼女がホームのかなり遠い端に見えて再度乗車するように手で示していたので列車員に再乗車したい旨頼んだが拒否された。

わたしが再乗車できない様子を見ていた彼女がホームをこっちへ駆けてきた・・・・

1985年5月末のことだった。

この一枚だけは2021年7月撮影

駅は東側管理だが西側からきた旅行者は駅構内では東へ出国していないものとみなされた。

かっての出入国管理所が、「Tränenpalast (涙の宮殿)」として残されている。今回初めてそこを訪れた。

しかしなんという悲哀に満ちた命名だろう・・・・

駅北側すぐ。かっては駅の一部であった。
「宮殿」北側のガラス張りの入り口。いかにも偽善的デザイン。
「宮殿」内に保存かつ展示されているかっての検問所。西ベルリン市民、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)、その他の国民用と案内されている。

ここで1985年のあの国境駅構内の重苦しい雰囲気をまざまざと思い出した。

そのころの構内には監視用の橋が架けられていてその上にマシンガンを構えた国境警備隊が軍用犬を連れて監視していた。

遅くついたのでもう夜も更けていた。東側らしい電圧の低い電灯の光がヘルメットとマシンガンを冷たく照らしていた。

わたしは身体が出てきたばかりのチャイナの暗い思い出からココロがまだすっかり逃れてきておらず、東ベルリンを見学しようとは少しも思わず。早く西ベルリンへゆきたかった。

東ベルリンを初めて訪れたのは再統一後10年以上たってからだった。


撮影機材 Leica M Monochrom(Typ246)+ Summaron M 5.6/28





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