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【ネタバレあり】脳が焼けるということ(ウィッカーマン)

神の声を聞きなさい
異教徒たちよ目を覚ませ
神がなんじらの果樹を枯れさせたのだ
なぜなら真実は風化する
人々の記憶から
願望は実りはしない
なんじらは死をもって罰せられる

『脳が焼ける』という言葉があります。
何かを読んだ時、何かを聴いた時、何かに会った時、何かを観た時、自分の中にある"常識"と書かれた柵が、その"何か"によって音を立てて壊されていく。最初こそ慌てふためき、知識という名の木材を集め、思考という名の工具を取り出し、常識という名の柵を直そうとあなたは腕を振るうでしょう。しかし、柵の壊れる勢いはとどまることを知らず、最後には最早ただ立ち尽くすことしかできない。……きっと誰もが何度か経験したことがあると思います。

私の場合、もっぱら『映画』という媒体で脳が焼けることが多いです。

たとえば『ターミネーター2』
これはもう全編通して名シーンのみで構成されているド級の名作であることは疑いの余地がありません。強いて言うならば冒頭5分の『1から続く世界観の説明』『これから起こる事の説明』『これらを説明する上での画面上のカッコよさ』がバチバチにキマっていて特に好きなシーンでもあったりします。

たとえば『裏切りのサーカス』
敵組織から狙われているギラムを匿っている間、スマイリーが「君はこれから常に監視されていると思った方が良い」と言い放つシーン。暗がりの部屋の中でスマイリーを照らす僅かな光が、彼の渋さを一層際立たせる、本編を通して一番好きなシーンです。ちなみに、このシーンのおかげでゲイリー・オールドマンのファンになりました。

上記の作品は人によっては充分に「脳が焼ける」と表現できると思います。しかし、私の中ではあくまで「興奮した」に留まるレベルなのかもしれません。上に書いたような、まるで今まで抱え込んでいたつまらない常識をブチ壊すほどの衝撃を、上記二作では受けていないからです。

そんな私が初めて脳を焼かれた作品、それが『ウィッカーマン』です。

スコットランド警察に勤めるニールは、行方不明になった少女を捜すため、とある島を訪れる。そこで彼は島民がキリスト教普及以前のケルト的宗教生活を送っていることを知る。キリスト教徒のニールは島民の特異な風習に嫌悪感を抱きながらも捜査を続けるが…。

ウィッカーマン あらすじ

敬虔なクリスチャンでもある主人公が行方不明の少女を捜索するためにケルト信仰の厚い小さな島に降り立ちます。冒頭で飛行機から覗く海や島の風景や、ギターを絡めた爽やかな音楽とは裏腹に(主人公にとって)異端の宗教に満ちた島民の生活は不気味そのもの。このアンバランスさでまず本作の世界観に見惚れてしまいました。

シナリオとしては行方不明の女の子を探しつつ、主人公に忍び寄る不穏な空気にゾクゾクするという至ってシンプルな作りです。果たして女の子は見つかるのか。そして主人公は生きて島を出ることはできるのか……。

ケルトの古代信仰は、現代を生きる我々でも眉をひそめるシーンが多く見受けられます。喉を癒すためにカエルを口に入れたり、陰茎をモチーフにした木の棒の周りで踊っていたり、その重要性を学校で教えていたり……。そしてなにより作中では女性の裸体が多く登場します。敬虔なクリスチャンであり婚約もしている童貞の主人公にとって、それらは非常に刺激的でありながら同時に嫌悪感を増す十分な理由になったわけです。そして我々も自然と同じ感情を抱かせるように巧みに作られています。

それらのシーンを経てラストに登場するウィッカーマン。ウィッカーマンとはかつて実在したとされる宗教道具で、家畜や人間を詰め込み、火を放ち、五穀豊穣を祈ったとされています。正気とは思えない宗教と島民、そして生贄としてこれから身を焼かれる事を悟った主人公。敬虔なクリスチャンである主人公はウィッカーマンを目にして叫ぶ。「神よ、あれは何だ!?」

大いなる太陽の神よ
樹木の豊穣の神よ
いけにえを供します
花が実を結びますように

クリストファー・リー演じる領主、サマーアイル卿は己の神に生贄を捧ぐ。
太陽は夕暮れを過ぎ、辺りは徐々に明るさを失いつつある。

生贄となり、自らの死を悟った主人公は叫ぶ。
「神の声を聞きなさい」「異教徒たちよ、目を覚ませ」と。

ウィッカーマンに火を放ち、高らかに歌を歌う島民。
絶望を抱きながら讃美歌を歌い、主の名を叫ぶ主人公。

唯一キリストを主とした彼は、狂気に苛まれ、蝕まれ、炎の中で命を散らす。彼を呑み込んだ巨大な男もまた、神へ捧げる聖なる炎の中で膝をつく。島民が信仰する太陽の神は、そんな彼らの児戯に付き合っていられないと言わんばかりに海の中へ身を潜め、物語は終焉を迎える。

……私は本作を観終えてしばらく唖然としたまま動けませんでした。サマーアイル島の美しい風景の中に狂気があり、唯一正常だと思っていた(思わされていた)主人公でさえ、ケルトのカルトに身を焼かれ、自らも狂気の片鱗を見せ、死んでいきました。そして最後、海に沈む夕日のカット。別々のベクトルを指した狂気が激しくぶつかり合う中で、海に沈む夕日に不思議と心が洗われました。

「脳が焼ける」。
言葉ではなく、魂で理解をした最初の作品でした。そのおかげか、常識という名の柵が徹底的に破壊されるあの感覚を求めて、今もずっと似たような作風の映画を探している気がします。

忘れっぽい私ですが、この作品の事は多分一生忘れません。


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