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桃太郎とモモワロウ

昔話『桃太郎』は、誰もが知るとおり桃から生まれてきた男の子のお話だ。この昔話には元ネタともいえる伝承がある。それが吉備津彦命(五十狭芹彦命)の話だ。
朝廷から遣わされた吉備津彦命が犬飼部(犬飼健命)と鳥飼部(留玉臣命)、そして案内役の猿田彦(楽々森彦命)と共に吉備国を治める温羅を倒す。
ぶっちゃけ「吉備国やっつけてヤマトで製鉄業いただこうぜ!」…という話を耳障りよく整えたお話だ。
こう聞けば、侵略者は桃太郎サイドの気がするが、吉備津彦命は神聖さや高潔さに特別感と正義っぽさの属性を盛り盛りに神聖の象徴である桃の中にぶち込まれることになる。これが勝てば官軍ということなのか(実際に「官軍(朝廷)」ではある)。

この桃太郎。岡山県が発祥とされているが、全国に伝承や物語が残されている。
元ネタから考えれば、舞台…というか現場が岡山県であって、桃太郎の出自自体は奈良だ。(桃太郎のパパ、第7代孝霊天皇を祀る孝霊神社に吉備津彦命も一緒に祭神として祀られている)
岡山県が桃太郎をありがたがっているのは、朝廷によるプロパガンダがめっちゃ成功してしまってる姿だと考えると、なんだか滑稽にも見える。いや、大きい組織に統一されるのは長期的な平和に繋がるから「良いこと」だと考えよう。

閑話休題。全国に残されている桃太郎の伝承には土地土地でオリジナリティが加えられている。
そういう名前のヤツがいたとか、川から流れてきたのが赤子だったとか、山梨や三重では岩から生まれたとされている。

桃太郎岩太郎 (『ゆるキャン△』12巻67話バスキャン□北上中より)

そして、東北では箱に入った桃から生まれたといわれている。

箱に入った桃…?
…そういえば、そんな桃をいきなり送られてきたことがあったような…

なんか…こういう…箱に入ったモモ…っぽい…

出自で言えば、江戸時代頃は「桃を食べて若返ったおじいさんとおばあさんがハッスルして生まれた子ども」と語られていた。

流れてきたのは仙桃だったらしい(『鬼灯の冷徹』1巻4話末より)

子どもに聞かせる話として、これはどうにも面倒くさいと明治以降に現在の「流れてきた桃の中から生まれた」という話に平準化される。
現代では「キビ団子による主従関係」や「鬼を退治する」描写をやめようという絵本も存在するように、物語は語り手の都合で改変されるものなのだ。
製鉄業が欲しい朝廷による征服が桃太郎となり、退治は和解に変わる。
書かずに隠せば読み手の想像に任せられるが、そうすると語り手の意図に反した考察厨が現れる。
福沢諭吉は「桃太郎って略奪者じゃん」と言い、芥川龍之介は創作の中で「そうだ!京都行こう!ぐらいのノリで鬼退治に出かけた」と語る。

語り手は語りたいことしか語らない。敵対する勢力がぶつかる話であれば、双方の主張を聞かねば全貌が見えない。
しかし、全貌が見えたところで、次の語り手になる私たちは自分の語りたいようにしか語らないだろう。

まぼろしモモンのお歳暮から暫く後、公開されたモモワロウ物語は、キタカミに残るともっこの伝承とも、お面職人の家に伝わる話とも異なるものだった。

おじいさんとおばあさんが可愛がっていたモモワロウ。
モモワロウは更なる愛を求めておじいさんとおばあさんにくさりもちを振る舞う。くさりもちの影響で欲望が肥大する二人はある時キタカミにあると言う面を欲しがり、モモワロウはお供のイイネイヌと共に旅立つ。道中、マシマシラとキチキギスをお供に加えオーガポンと男の居ぬ間に面を盗み出す…

この話は一説であるそうだが、では誰が語りはじめたのか。
キタカミの里にはモモワロウがお面を盗みたかった理由は伝わっていない。
また、モモワロウの故郷にはモモワロウの末路は伝わっていないだろう。
話の中でモモワロウが善として書かれていないことも不思議だ。

これはどこかで伝えられていた話ではなく、後年の創作ではないか。
モモワロウの故郷に伝わる「盗みを働くポケモンがいた」「緑色のガオガエンが盗んだ」「同時期に羽振りのいい老夫婦がいた」などの伝承から、キタカミの話と結び付けたのかもしれない。
…そんなことなく全くの創作かもしれないが。

ポケモン世界で小説家といえば、シキミだ。
シキミがこのような話を書いたなら、主人公はブルベリ学園交換留学中にジム巡りもして四天王に挑んだのだろう。ネモに劣らずバトルジャンキーな主人公であれば想像に難くない。
嗚呼、オーガポンとモモワロウはこのような過去の確執がありながら、主人公と出会ったことで手を取り合うことができたのだ!シキミが書いたのであれば、この物語に続く大団円が待っている。

でも、何故だろう。脳裏に浮かぶのは里の観光収入に目が眩む黒い笑みだ。

ともっこの次はオニさまでも観光収入ゲットだぜ

物語は語り手が語りたいことだけが語られる。
そして物語は時代と共に形を変えていく。時代の語り手の都合の良いように。史実との相違に考察を重ね、新たな創作が生まれるだろう。
桃太郎がそうであったように、モモワロウの物話もそのように噂が噂を呼べば、キタカミの里は物語の発祥の地として有名になるだろう。
さすれば、観光客も増え、キタカミはもっともっと発展するのだ…!
急ぎオニさまの像も作らねば。寄付金はともっこ像の修復に協力されたあの学生に集めさせよう。先日、連れて来た友人には社長令嬢や博士の息子、ジムリーダーの娘もいた。今回もすぐだろう。
腐らずのモモも似たものを飾ろうではないか。いや、商店などではなくもっとうやうやしく祀るのがいい。
……あぁ、これから忙しくなるぞ。

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