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子育て最大の喜びは、思いがけない子供の一言に出会った時

恐らく多くの親たちが、この小さい子たちの思いがけない言葉に感動したり、笑わせられたり、感心させられたりした経験があるはずだ。もうすっかり忘れていたけれど、”baby’s diary”ー赤ちゃんの日記ーの中には、ちゃあんと残っている。「子供は詩人だ」と思った瞬間が。

長女の言葉

ーまさに長女のキャラクター。結構早熟タイプで賢い子だった。

❶ ある日ボルネオのジャングルあたりをドライブしていた時、点在するビダユ族の住居を見て叫んだ。

“Oh, they are so BINBO!”

???彼女は”poor”という言葉を知らなかった。でもその光景を言葉にしたかったに違いない。バナナの葉っぱなどで立てられた家を見て自分の住んでいる家とこんなにも違うことを感じ取ったのだろう。自分の家で働く住み込みのお手伝いさんがこのような家々の建つ地域の出身だと幼い心でもわかっていたと思う。

❷夫が男性用トイレに彼女を連れて行った時のこと。小便器を指差して叫んだそうだ。

「あ、おじちゃんが落として行ったよ」と。

見ると便器の真ん中にピンポン玉大の消臭ボールが2個並んで置いてあったそうだ。この言葉、何を意味していたのだろうか?

二女の言葉

ー彼女はおっとりタイプ。言葉も歩くのも遅かった。発音も結構不明朗だった。感性もちょっと家族の中では変わっていた。

❸ある日ボルネオを巡回しているしょぼい特設の遊園地に出くわした。彼女は叫んだ。

「あ、ネズミーランドだ」と。

彼女は「デズニーランド」と言っているつもりだ。そしてご近所でも。

「お母さん、私、ネズミちゃんと遊びたい。ネズミちゃん、あそぼ」

とお友達を誘った。そばにいたその子のお母さん、とっさに「うちの子、いずみなんだけどなあ」と。わたくし、申し訳なさでとても恥ずかしかった。

❹そして自宅で。絵本の中の動物を指差し、しきりに

「じっちゃん、じっちゃん」と言う。絵本にはそれらしき老人はいない。長女に「なんて言っているの」と聞くと

This one? This one?”

と言ってるんだよって。子供同士は理解しあっているんだと感心した。つまり、絵本にある絵を指して「これは何?」といつも自分が聞かれることを真似ていたのだ。

「アカメー、アカメー、こわいよ〜」なんのことかな?「バカめー」かな?当時はやっていたギャグ(「バアカメ〜〜」と見栄を切る、アレ。知らないだろうな)

「オオカミ、オオカミ、こわいよ〜」であった

二女は三女が誕生した時、心に変化が起き毎日グチグチ泣いてばかりの日が続いて、手を焼いた。ある晩、寝かしつけている時、

「お母さん、(三女の名前)ちゃん、好き?」

と聞く。で、

「好きだよ。(二女の名前)ちゃんは?」

と聞くと、答えずに私に背中を向けて寝たふりをした。翌日から三女を保育園に入れ、二女と二人っきりで遊んだり、毎日お出かけしたりした。3ヶ月が過ぎた頃、彼女はすっかり元の彼女に戻った。時に彼女は2歳だった。子供って、繊細なんだなあと実感した。お母さんが取られちゃったと思って不安だったんだろうね、きっと。

三女の言葉

ーこの子は三女だけあって、上二人をしっかり観察していて賢く振る舞う要領のよい子だった。二女を妹だと思っている節もあった。

❻(二女に向かって)「どれお姉ちゃんがやってあげる」

は、この子の口癖だった。二女はのちになって、この三女にいつも挑まれて「どれほど苦痛だったか」ともらしていた。

❼三女はとことんまで眠くならないと寝ないタイプだった。朦朧としている意識の中で、

もうだめだあもうだめだあ」

を連発して最後に眠りについたそうだ。この言葉、どこで覚えたのか。上の二人から学んだことは間違いないけど、眠りに落ちるタイミングでこの言葉を使うなんてと、夫は思わず吹き出したそうだ。

❽姉妹三人でお友達の家に遊びに行った時のこと。上の2人はバタバタと家に入ったけど、三女は姉たちのサンダルをきちんと並べて、

「おばちゃんお邪魔します」

と言ったそうだ。そのお母さん、自分の娘が三女と同い年だったので驚くやら感心するやら。わたくし、そこまで立派に育てたつもりは全くなかったけれど😅。

❾最後は、子供の言葉に感化された話。我が家の娘たちは「パジャマ」が言えず「パモジャ」と言っていた。こっちも直すのが面倒なので一緒に「パモジャ」を使っていた。言わば共通語。夫が一時帰国で、ナイトウェア売り場に行って、無意識に

パモジャください」

と言ったそうだ。売り場の人が怪訝そうな顔をするので「寝る時に着るものです」と言ったところ「パジャマのことですか」と聞かれ、全く意識せずに「パモジャ」を使っている自分に気がついたそうだ。「終わった人‼️」

番外編

二女のユニークさが光る一言。東京の人なら知っているだろうけど、奥多摩に「日原鍾乳洞」(ニッパラしょうにゅうどう)がある。なかなかいいところだ。

「さあ、今日はニッパラに行くぞ」と言うことで車で現地へ。到着すると二女は叫んだ。

「どこにも乗り物ないじゃん」と???

「え?鍾乳洞だよ」と言うと、

「え、ニッポンパラダイスって遊園地じゃないの?」

どうも、ニッパラとは、「日本パラダイス」の略語で遊園地だと思い込んでいたらしい。この時、小学校の高学年か中学生だったかも知れない。我が家の語りぐさとなっている。

生まれてある年齢まで、子供は無意識のうちに詩的な言葉や愉快な言葉を発する。こんな瞬間に出会えた時、親として最高の喜びを感じる。意図的に出た言葉ではなく、ふいっと口をついて出た言葉だから私たちをときめかす。でも自我が出てきて知恵が働くようになると徐々にその喜びに出会える機会が減って行く。

三女がみんなを笑わせようとして、冗談を言った。でも面白くなかったので、みんな面白くないよと、そっぽを向いた。すると彼女は、

「じゃあこんなのはどう?」

と別な冗談を言おうとした。完全にウケねらい。誰かを笑わせようとの意識が芽生え、もう無意識の発語ではない。ああ、彼女は成長したのだと実感させられた瞬間だった。

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