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今日ときめいた映画159ー黒澤監督作品「生きる」を見る

(タイトル写真はU-NEXTからの転載)

昭和27年制作の映画である。もちろん白黒映画で、薄暗い市役所の一室で働く一人の男の話である。この作品を見ようと思ったきっかけは、この映画のリメイク版が英国で作られ(タイトル“Living”)、脚本を書いたのがイシグロカズオであることに興味を持ったからである。作品についてのインタビューで、彼は自分の脚本をオリジナルから少し変更したと語っていたのでまずはオリジナルを見てみようと思ったのだ。

日本生まれで英国育ちのイシグロカズオは日本の文学や映像に強い関心を持っている。特に小津安二郎監督作品は好みのようで(彼を敬愛している欧米の監督は多い)、その中で穏やかに微笑んでいる笠智衆は好きな役者の一人のようだ。だから彼の脚本の主人公は深刻な志村喬タイプではなく笠智衆のイメージで描かれ、映像でもそのような俳優を選んだと語っていた。それがあのLove Actually ラブ・アクチュアリーなどに出演したビル・ナイである。

日本版「生きる」は、暗くて重い雰囲気漂う作品である。昭和27年だから高度経済成長の活況が訪れる前の日本社会で、主人公は、市役所の市民課で課長として働いている。課内の仕事ぶりは縦割り行政、たらい回し、どの課も市民の陳情などにまともに取り合わず、いばり腐っている小役人ばかり。「市民の僕」などとは裏腹で、上から目線で役人が偉そうだった時代のことだ。

主人公もその典型で、勤続30年の現在でも魂が抜かれたように仕事をして、質素で単調な暮らしを送ってきた。女子職員がつけたあだ名が「ミイラ」である。

だがそんな彼の体調に異変が起きる。彼には告知されていないが胃がんで、もっても半年と医者は診断している。主人公も自分はもう長くはないことを感じ取り、今まで「ミイラ」のように生きてきた人生を思い涙する。

自暴自棄になり無断欠勤し、遊び歩いても心は虚しさが増すばかり。退職した女性職員の活気にあふれた生き方に触発され、残された人生を生き直そうして、住民が陳情に来ていた公園建設の実現に向けて命を燃やす。

5ヶ月後主人公は死ぬ。公園は完成し、主人公の葬式の場で助役はじめ市役所の職員達はそのことを自分たちの手柄のごとく言い合う。そこに陳情に来ていた女性住民たちが焼香に来て泣き崩れる姿に、市の職員たちは衝撃を受けて沈黙する。それは一番の功労者は主人公であることを証明している光景だったからだ。

それから彼らは自分たちも主人公に続こうと奇声を上げる。だが実際は元のままで、縦割り行政、たらい回し、相変わらずミイラのような職務態度。人間そうそう変われるもんじゃない。人間の本質を見抜いている黒澤監督のシビアで辛辣な終わり方だった。

そして主人公の行為は公共の福祉のためという美談というより、実際は自分自身の心の充足感のためであった。だからブランコに乗った彼の姿はとても幸せそうだったと最期を見ていた警察官に語らせている。

このドラマで主人公が歌う「ゴンドラの唄」のメロディは切なく胸にしみる。そして歌詞はまさに主人公の思いそのものである。

次はイシグロカズオ版が見たい。どんなふうに仕上がっているのか楽しみである。

いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

いのち短し 恋せよ少女
いざ手をとりて 彼(か)の舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰れも 来ぬものを

いのち短し 恋せよ少女
波に漂(ただよ)う 舟の様(よ)に
君が柔手(やわて)を 我が肩に
ここには人目も 無いものを

いのち短し 恋せよ少女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを



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