Xデザイン学校#2 6/15

エスノグラフィー

今もっとも興味がある内容かもしれない。
私自身はデザインと名のつく仕事をしていないが、
上から降ってくるあるべき姿と、現場の切羽詰まった課題と、
その中で何とかかんとか工夫しているがうまくはいっていない組織に対して、
いろいろな立場の人の話を聞き・問い、観察することを通して
どう関係を整えるか、何を効果として価値づけるのかのあたりをつけ、
進言する役割を担っている。

この仕事の特徴は、顧客先に「いる」ことだ。
もちろん業務として「する」仕事もあるが、一定時間その場に「いる」ということ
そのものが仕事でもある。

今日の講義の内容でいうと、観察者としての参加者になるのだと思う。
しかし、この「いる」ことが辛いこともある。
顧客や会社にとっての自分の価値(これはパーパスに当たるのか)について考えると
不安でしかたない。

それでも、「いる」ことに意味があると思いたい、
顧客にとっても会社にとっても価値のある在り方でそこにいたいと思い、
Xデザイン学校に参加している。
行為者が気づかない自分の癖や変化、こだわりをできるだけ拾い集めること。
見つけたものに対しての問いかけを通して、相互理解を深めること。
(相手にもこちらの知りたいことを理解してもらう必要がある)
行動や考えを価値づける軸を複数持っておくこと。
こうしたことをできるようになりたいと思う。

今回の講義で気になったのはインフォーマントの存在である。
インフォーマントはその社会に埋め込まれている常識や価値基準を言語化して伝えてくれる存在で
観察者は観察した行動の意味を推測することができる。
確かに、自分だけで観察しているようで、その場の人からその組織の機能やヒントをもらって、
見えるようになってくることが多い気がする。
この人がインフォーマントだと明確にされなくても、本人が教えるつもりで言っていなくても
その組織・文化の目線から理解するためには誰かの目線で覗かせてもらう機会が
必要なのかもしれない。

そう考えたときに、社内でも顧客先に「いる」ことがない人にとって
自分がインフォーマントになれないのか、考えてみたいと思った。
自分の観察力や見えたものの意味づけをする洞察力を鍛えるとともに
起きていること、見えたもの、そこから考えられることを伝えられるように
自分たちのサービスが顧客の文脈でどう理解され、位置付けられ、活用されているのか
自分たちの価値について、伝える努力をしなければならない。

顧客の一部として「いる」という経験が増えていくと、
自分の視点だと思っていたものが、乗っ取られている?と思う瞬間がある。
かといって無理やり境界線を明確にするのも共感を拒否するようで不自然な気がする。
答えは出ていないのだが、顧客の観察を通して自分の見方もメタ認知し続けなくては
ならないのだろう。

ビジネスのプロセスとして調査を行う場合には、当然目的や確かめたい仮説があり、
「しなければならないこと」を落とさずに業務を遂行する必要がある。
これにぬけ漏れを起こしがちなのは反省しているが、
そこからはこぼれ落ちるけれど、確かに存在している行動・文脈・価値に
気づいて伝えられるようになりたいと思う。

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