黄昏鰤 第57話

101日目 「はい面接!テメエの顔も見飽きたぜ」

「……頭痛い」

 学校を去り、また住宅街をあてもなく歩く。猫を探して周りを見渡しながら進んでいるのだが、ふとした暗がりに理科室で見たあの目がいるような気がして、おれの気分は最悪だった。町を歩くのがどうにも苦痛だ。それでも、立ち止まるのはもっと駄目だと思った。
 見晴らしの良い大通りをぼんやり歩いていると、前方に見覚えのある蝸牛がいた。2階建ての家ほどの大きさで、紅白縞模様の殻を背負った三ツ目の蝸牛。

「こんにちは」

「こんにちは。君の目はいくつ?」

「ふたつ」

「ふたつかあ」

 何度も繰り返した問答に、何故だか今回はいやに気が沈んだ。

「黒猫見なかった?」

「猫? 猫の目はいくつ?」

「ふたつ。……もういいや」

 じゃ、と手を振って、すぐに別れた。長く一緒にいたら、なんだかとても凶暴なことをしでかしてしまいそうな予感がした。
 なんだ? なんでこんなに物悲しいのだ? ぐるぐると思考は螺旋を描いて下降する。
 道にどこまでも並ぶ電信柱、その影すべてにまた視線を探ってしまう。なにもいない。わかっているけれど、視神経に貼り付いているのだ。見られている、嫌だ、嫌だ。尻尾をぶんっと振ってみたけれど、重たい空気は払えなかった。


102日目 「贈与!少女よ力が欲しいか」

 町を歩くとそこいらじゅうの物陰が気になって嫌になったので、空が広く見える高台で休むことにした。小さな展望台のベンチに腰掛けて、流れてゆく橙色の雲をひたすら眺める。木の葉や草が風にこすれる音が町の上へ霧散していった。
 自然の音にまぎれて、軽い足音がした。誰かがここへ上がってきている。
 見ると、服を血でべったりと汚した少女が高台をこちらへ登ってきていた。夏用の軽やかな帽子の下の目がきらりとおれを見る。直感で、おれと同じく町の外から来た人だ、と察した。いや、おれと同じくもう人ではないのかもしれないが。

「こんにちは」と軽く頭を下げると、少女も挨拶を返してくれた。礼儀正しく、大人びた子だが、なんとも警戒心を感じる。何故だろう。奇妙に視線が強い。

「血、それ、怪我してるの?別の人の?」物騒な格好が気になったので、原因かもしれないと思って尋ねてみた。

「ああ、これは人間の血です。怪我はしてますけど、たいしたものじゃないので」
 少女はそう言うと、セーラー服の裾をぺろりとめくって白いお腹を見せた。ワオ。いや、そうじゃなくて、彼女の言うとおり脇腹に穴のような刺し傷が列を作っている。しかし服を汚す血は別件のようだ。
 とりあえず動揺を抑えて、答えた。「え、ああ、人間の……」人間の、返り血。ということは彼らを殺してきたということか。「じゃあ強いんだね、君。人間はやだよねえ」
 こんな女の子にもあいつらは容赦なく暴力を振るうのだろうか。そう思うとほんのりと暗い怒りが沸いた。

「私は人間、好きですよ?」と裾を戻しながら少女は言う。なんと寛大な……と思ったら、「美味しくて」と続けられて、逆に感心した。
 殺したんじゃなくて食べたのか。流行ってるのかな。

「それと、そんなに強くはないです。残念ながら」少女は帽子を脱いで、中の異形を晒した。

 額に縦に開いた鋭い目にどきりとした。三ツ目、か。つい先ほど会った蝸牛を思い浮かべる。それと、少女がそっと触れたのは、前髪の間から覗く硬質の欠片だ。

「あっ? 角? 折れてるのか、どうしたの?」
 ざりざりとした断面が痛々しい。角って折れるのか。これは他人事ではない。

「病院で、色々ありまして」少女はどこか暗い目をして言った。かつて全身の棘をむちゃくちゃに抉り取られたことを思い出す。あんな感じだろうか。それはしんどい。と考えていると、少女は視線をこちらに戻して言った。「……あなたは、立派な角をお持ちですね」

 声色と、目の色と、経験で、うっすら察した。

「……ああ、うん、便利だよ色々。……ひょっとして必要?」

「ええ、貰えるとありがたいです。……元通りに、なるでしょうか」

 祈るような呟きだった。
 いびつな欠片を撫でていた手が、空をなぞる。そこにあったのだろう、彼女の角が。しばし逡巡して、おれは言った。

「……コレをあげるって意味はわかってるんだよね」

 角を得るとは、角で死ぬことだ。

「もし元通りにならなかったら、気軽に恨んでいいけど、本当に、殺していい?」

 首を動かせば、おれの角の先端に黄昏の光がぬるりと光り滑り、尖って消える。
 少女は瞳に気高さを湛えて答えた。

「優しいんですね……恨むことはないと思いますよ。その角も、元の角に負けず劣らず素敵ですから」そしてにっこりと、見事に素敵に笑って、両手を広げた。「さあ、一息に、殺ってください」黄昏色の町が観客席のようにおれたちを見上げている。
 おれもなんとか笑みのかたちを顔にこしらえて、彼女の胸に飛び込んだ。

「じゃあ、元気で」

 角の先端がどすりと埋まる。あの穴の開いた白いお腹の上に、さらに大きな穴が穿たれた様が脳裏に浮かぶ。少女は顔を上に向け、血を吐き出すのをこらえながら、後ろに倒れ落ちて絶命した。
 おれはその上に一緒に倒れ込んで血の流れる音を聞いていた。静かになってから角を抜いて立ち上がる。セーラー服は初めの返り血を塗りつぶされんばかりに赤一色だ。
 おれは側に転がる彼女の帽子を拾い上げ、そっと顔に被せると、高台を去った。無事に角が生えて、どうか、元気で。


【魂17/力13/探索2】
『猫目、角、火玉、竜尾、鬼腕』『名前前半喪失』『感情:楽喪失』

(つづく)

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